学校の様子

3月10日 忘れてはいけない日

公開日
2020/03/11
更新日
2020/03/11

お知らせ

○新型コロナウィルス感染防止のための学校休業日が始まって一週間が過ぎました。
学校休業日にならなければ、昨日の児童朝会時に、3月10日と、3月11日の話をする予定でした。

○3月10日は、今から75年前に東京大空襲があった日です。死者10万人以上、罹災者100万人以上と言われています。わずか一日でこれだけの方がなくなったのです。大空襲から75年がたち、実際に体験した方も少なくなって、徐々に記憶が薄れてきている気がしますが、絶対に忘れてはいけないことです。(なんとなくテレビ等で取り上げられることも少なくなってきた気がします)。二度と東京大空襲のような悲劇を起こさないようにするために、ぜひ当時の悲惨さを次代に語り継いでいかなくてはならないと思います。
・以下は、以前江東区の小学校に勤務していた時に、周年記念誌を作るために、東京大空襲を体験した方から実際にお聞きした話です。

●「子どもの時に東京大空襲を経験しました。死んだ人の匂いがたまりませんでした。荒川の橋の上は、焼けた人たちがマネキンのように山になっていました。川の水はまるでお湯のようになっていました。・・(中略)・・・小学校の講堂に人の焼けた影が残っていました。」
●「東京大空襲の時は10歳でした。空襲当日は、アパートの2階にいました。焼夷弾が落ち、自分たちがいたアパートの周りもあっという間に火の海になりました。・・(略)・・・・このままでは死んでしまうと思い、逃げようとしましたが、お母さんは煙を吸い込んでしまい,うまく動けませんでした。何とか運ぼうとしたのですが、なかなか運ぶことができませんでした。どんどん火がまわってきます。お母さんに「早く逃げなさい。」と何度も言われ、しかたなく私と姉と父でアパートの外に逃げだしました。お姉さんは、一度逃げてから、またお母さんのところに戻ったので、出てきたときには真っ赤に火傷をしていました。すでに母は、真っ黒になって死んでいたそうです。(・・略)・・・・」

○毎年この時期に、このインタビューの載っている周年記念誌を読み直します。そして、東京大空襲の時の経験を語って下さった方の顔を思い浮かべます。
・目の前で火に巻かれる母を置いて逃げざるを得なかった子の気持ち。
・自分は火にまかれ苦しみながらも、子どもやご主人に「早く逃げなさい。」と言った母の気持ち。
・火が燃えさかる中に母を心配して戻り、真っ黒になって亡くなっていた母を見た時の姉さんの気持ち。

 改めて記念誌を読みながら、インタビューに応えてくれた方々の顔を思い出します。きっと思い出したくないであろうことを、子ども達のために、一つ一つ思い出しながら「私たちのような経験させたくないですね。」と言いながら経験を語ってくれました。

そんなことを思い出しながら、インタビューを読むと、「こんな思いを絶対に今の子ども達にさせてはいけない。」と強く思います。そして、実際に戦争や空襲を経験していない私たちですが、次代の子ども達に、75年前にこの東京で、実際にあったことを伝えていかなくてはならないと強く思います。そして、これからの日本を担う子ども達には、過去の経験から学び、戦争のない、平和な世の中をつくっていって欲しいと思います。


○明日、3月11日は、今から9年前に、東日本大震災が起こった日です。忘れてはならない日です。そして、私自身も経験した災害です。