10/23 1学年 合唱練習の様子3学年 れんが祭 リハーサルの様子10月23日(月)の給食おかひじきサラダ じゃこ入り大学芋 牛乳 「鶏飯」は、ほぐした鶏肉、干ししいたけ、錦糸卵、野菜などを、白いごはんの上にのせ、鶏ガラのスープをかけて食べる、奄美地域を代表する郷土料理です。かつて、奄美群島が薩摩藩の支配下に置かれていた時代、鹿児島本土からやってくる役人たちの威圧的な態度を少しでも和らげるためにつくられたのがはじまりだといわれています。また当時、非常に貴重なものであった鶏を余すことなく使ってつくった「鶏飯」で役人たちをもてなしたともいわれています。また、このころはまだスープをかける風習はなく、鶏の炊き込みごはん風にして食べていました。昭和に入ってから鶏ガラのスープをかけて食べるアレンジが浸透し、いまではそれが一般的となっています。 10/23 3学年合唱リハーサル10/23 委嘱式第1学年 合唱練習の様子10月20日(金)の給食ごぼうサラダ カレーシチュー スイートパンプキン 牛乳 いつも給食で提供するパンは、アメリカやカナダの小麦を使って作られていますが、今日のパンは、小麦粉ではなくお米の粉で作った米粉パンです。日本人1人あたりの米の消費量は、年々減少し国内で生産される米が余る現状が続いています。東京都の米粉パン事業の1つで米粉パンを味わってもらいたいと思います。米を粉にした米粉は、奈良時代から和菓子やせんべいに使われてきました。現在では、細かく粉砕する技術が進み、パンやケーキ、麺といった加工品の材料にも使われています。とてもモチモチして美味しいのでいつものパンの違いが味わえたらと思います。ご飯はもちろんパンにしてもおいしいお米の魅力を味わってください。 第1学年 れんが祭 リハーサルの様子10月19日(木)の給食 かみかみ献立さんまのかば焼き 和風サラダ 五目汁 りんご 牛乳 歯科検診3日目です。今日もよくかんで食べるようにかみかみ献立です。今日はさんまの小骨も食べられるように、油で揚げてタレをかけました。さんまには、DHAやEPAが含まれる良質な脂が豊富な青魚です。DHAは脳の神経系に豊富に含まれ、脳や神経が発達途中に多くとることが望ましいとされています。EPAは、血液に血栓をできにくくし、生活習慣病に効果があります。これからの季節は、いわし、さば、などの青魚が多く出回りますので、ぜひおうちでも食べてください。 第3学年 合唱練習の様子第2学年 合唱練習の様子合唱練習がはじまりました。10月18日(水)の給食 かみかみ献立春巻き ビーンズサラダ ワンタン入りスープ 牛乳 歯科検診2日目です。今日は、よくかんで食べるようにかみかみ献立です。中華風の炊き込みご飯やビーンズサラダには少し固めに茹でた豆が入っています。春巻きもカラっと揚げたのでかみ応えがあります。食べるときは、30回かむことを心がけて食べましょう。 10/17 避難訓練の様子10/17 中央委員会後期の委員会活動が始まりました。また、新生徒会本部役員は初回の活動で旧生徒会本部役員より、活動の引継ぎを行っていました。生徒が主体的に取り組む姿が、これからの巣鴨北中学校をよりよくしてくれることでしょう。 10月16日 1学年 学年集会の様子10月17日(火)の給食 旬を食べようゆかりのふりかけ 秋野菜の煮物 具だくさんのみそ汁 牛乳 今日(きょう)は、旬の野菜の秋(あき)野菜(やさい)をたっぷり使(つか)った煮物(にもの)です。さつまいも、しめじ、れんこん、ごぼうなど食物(しょくもつ)繊維(せんい)たっぷりの秋(あき)野菜(やさい)が入(はい)っています。また、今日から歯科検診が始まりました。三日間よくかんで食べるような献立です。今日は、煮物や具だくさんの汁の野菜を大きめに切ってあります。よくかんで食べましょう。 10月16日(月)の給食 2年3組の献立ナムル 中華風コーンスープ 牛乳 今日は2年3組の考えた献立です!今日の給食の麻婆豆腐は、意外にも歴史が浅く誕生したのはわずか100年前と言われています。 「麻(まあ)」にはあばた・「婆(ぼう)」には身持ちの固いおばさんという意味があり「麻婆豆腐」は「顔にあばたのあるおばさんの豆腐料理」と言う意味です。豆腐に含まれるビタミンEは、血行をよくしたり、がんや生活習慣病の予防をしたり出来る効果があるので是非たくさん食べてください。献立を立てるときなるべく全ての食品群の材料を入れるように、料理の色のバランスが良くなるように工夫しました 桐生悠々
「言わねばならないことをいうのは、愉快ではなく、苦痛である」
これは、ジャーナリスト桐生悠々(きりゅう ゆうゆう)の言葉です。桐生悠々は信濃毎日新聞社の記者でした。 1933年、日本陸軍が関東一帯で「防空大演習」をやりました。この時代は、まもなく戦争が始まるという気配濃厚な時だったのです。だからこれは、もし関東地方に敵機がやってきて爆撃機が爆弾を落とした時に、どうやって火を消し止めたらいいかという演習だったわけです。しかし桐生悠々は信濃毎日新聞の紙面で「関東防空大演習を嗤う(わらう)」という記事を書きます。「敵機を関東上空に迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである」と断言したのです。関東で防空大演習をするってことは、敵機が関東上空にやってくることを前提にしている。爆弾を落とされた時点で大きな被害が出るのに、火を消し止める程度の訓練とは何事か。爆撃を受けるということはすでに日本軍は負けていることではないのか。そもそも、爆撃を受けないように守ることが必要で、本末転倒である。とまぁ、こんな内容の記事だそうです。 至極、まっとうな意見ですよね。でもこの時代の新聞・ラジオをはじめとするメディアは、軍の批判をするようなことは御法度だったのです。桐生悠々は在郷軍人会から批判を受け信濃毎日新聞社を辞めます。 しかし信濃毎日新聞社には桐生悠々の机が残っているそうです。「何物も恐れずに正しいことをきちんと言う。たった一人でも戦った先輩記者の姿勢を学びたい」という社風だそうです。 そんな桐生悠々でも、言わねばならない正しいことでも、言ったことで巻き起こる事態を想像すると、辛かったと心を痛めていたことがよくわかります。 いかがでしょう、同じような心境の方々もいらっしゃるのではないですか? 学校長 川合 一紀 |
|