6月はそれぞれの学年で行事があります。まずは1年生の校外学習。クルックフィールドで循環型産業や農業を学びます。2年生は音楽鑑賞教室があり、6組も校外学習。そして3年生は進路説明会です。  感染症の罹患は落ち着いてきていますが、ご家庭でも 換気、うがい手洗いに気を付けて体調を整えてください。 欠席連絡は電話連絡の他、TETORUもご活用できます。本校では登下校や体育活動などではマスクは外してもよいと伝えています。

意外と知らない省略語

 日頃何気なく使っている言葉でも、実は本来の言葉を省略しているというものが意外とあるんですね。
 例えば「カラオケ」。これの正式名称は「空オーケストラ」。なるほど!とは思いますよね。歌が入っていないだけでバックにオーケストラが鳴っているわけです。ちなみにこのカラオケは、日本が発祥で1970年以前にできたのだとか。だから外国の人もそもそも「カラオケ」というのが正式名称と思っていて標記も「karaoke」です。

 省略語は他にもあります。「切手」は「切符手形」、「食パン」は「主食用パン」、「電車」は「電動客車」と言った具合・・・。ついつい使っている「ダントツ」という言葉は、「断然トップ」が省略されています。「断然」(だんぜん)とは、「ずば抜けて」という意味。そこに2位以下を大きく引き離すという意味で「だんぜんトップ」で「ダントツ」ですね。また、よく応援団が「おす!」といっているのを見かけませんか。これは漢字で書くと「押忍!」です。そして元々の言葉は「おはようございます」です。すごく省略されて初めの「お」と最後の「す」だけが残ってしまいました。「おはようございます」はちゃんと言って欲しいですよねえ。


                   学校長  川合 一紀
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さ入れ言葉に違和感が・・・

 さ入れ言葉というものを聞いたことがありますか。例えば「私がやらさせていただきます」「失礼して座らさせていただきます」「私が作らさせていただきます」などなど。
 これは本来ならば「私がやらせていただきます」「着座にて失礼します」「私が作ります」という言葉を、こねくり回して丁寧に言ったつもりと言うわけですね。
 他にも違和感がある表現では、お店の方が時々「これでよろしかったでしょうか」と聞くことがあります。「なんで過去形?」と思ってしまいます。これも本来なら「これでよろしいでしょうか」と聞けばいいわけです。高級ホテルや高級レストランでは「これでよろしゅうございますか」と聞かれて、ちょっと気恥ずかしい思いになる方もいらっしゃいますかね。

 誤った丁寧語表現は、かなり巷に広がっているように感じます。正しい日本語を使いたいものです。また、ちょっと聞くと余り違和感を感じなくなってしまった表現もあります。例えば「おいしいです」「うれしいです」という言葉です。「おいしい」とか「うれしい」は形容詞といって後ろには「です」はつけません。「です」は本来体言の後につくので「おいしいケーキです」と表現するなら正解です。「美しい」や「苦しい」も同様で、「です」はつけません。「美しい景色です」「苦しい運動です」といった具合でしょうか。
 迷ったときには、後ろに「である」をつけてみると良いでしょう。「おいしいである」「美しいである」「苦しいである」とは使いませんから、間違った表現であるとわかります。「です」と「である」は、同じ働きをするのですね。
 「一々、目くじらを立てなくてもいいのではないか」と思われるかもしれませんが、正しい言葉を知っていて、あえて親しみやすい言葉を使っている方がセンスの良いように思いませんか。

                   学校長   川合 一紀
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心の器

 グラスに水が入っている。そこに石が投げ込まれる。そうすると器が壊れて水があふれ出してしまう。洗面器に同じ石が投げ込まれると水があふれる。お風呂の浴槽なら波が立つ。大きな池なら波紋が広がり、海なら何の影響も感じられないかもしれない。やってきた状況は「望んでいない石が急に投げ込まれる」ということだけ・・・

 このお話は、全く同じことが起こっても、器の大きさで、それがすべてを壊してしまうほどの大ごとになるか、何の影響もないかが決まると言っています。要するに、受け止める人の心の器の問題なのだということを比喩的に表現しているのです。

 皆さんにも心当たりがあるでしょうか。ゆったりとした大きな気持ちであったなら、たいした問題ではないと思えることも、追い詰められてパニックになっているような状態で同じ問題を突きつけられたとしたら・・。

 ある方がこんなことを言っていましたよ。「日々様々な難題に遭遇したときは、まさか命をとられるわけでもないし、大したことではないさ!と思うようにしている」と。



                  学校長  川合 一紀

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合成の誤謬

 「ごうせいのごびゅう」と読みます。これは、小さな視点(ミクロ視点)では合理的な行動であっても、それが合成された大きな世界(マクロ視点)では、必ずしも正しい行動、合理的な行動とはならないという意味の経済学用語です。
 ちょっと難しいですよね。漢字も難しい字だし・・・。

 具体的な例を挙げましょう。例えば皆さんがサッカーの試合を見にスタジアムに行ったとします。自分の座席からはピッチが遠くてよく見えない。そんなときは座席から立ち上がった方がより遠くを見渡せるので、これ合理的ですよね。でも、観客全員が立ち上がったらどうでしょうか。背の高い人がいたりしたら全く見えなくなってしまう。つまり一人一人の行動は合理的でも、全体がそのようにしてしまったら合理的ではなくなるというわけです。
 これ経済学用語ですから、一般的な例としては、一人一人が貯蓄をして将来のために備える行動はミクロな視点では合理的ですが、世の中の人全員が貯蓄をしてしまえば、お店や会社・企業にはお金が回らなくなり結果的には個人の得る給料が減ってしまうという循環に・・・、ということのようです。
 ただ誤解して受け止めない方が良いのは、「正しいことを積み重ねても無駄だ!」とか「全体の利益を考えて行動しない人は駄目なんだ!」という話ではないところです。まずもって、「個人個人が目の前の正しいことを積み重ねていく」のは大前提として、ミクロの視点での正しい行動とマクロの視点での正しい行動を一致させるように考えることが大事なのだそうです。

 先の例で言えば、サッカースタジアムの座席で全員が立っても見られるような座席配置とはどうしたら良いかを考えること、のようです。まあ、私たち一人一人は、この行動がみんなのためになるのか、そうでないのならばどうのように変えていったら良いのか、という視点で物事を考えましょうということみたいですね。
 今日はちょっと難しかったですねぇ。ごめんなさい・・・。


                    学校長  川合 一紀
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勉強は大事

 今日の全校朝会では、能登半島地震でいまだ再開できない学校の中学生を住み込みで別の学校に受け入れるというニュースや、大学入試共通テストの受験に向けて被災した学生を会場まで輸送するというニュースを元に、「勉強って大事なんだなあ」というお話をしました。
 学ぶということがいかに大事なのかを被災して初めて実感したというお話を耳にします。それほどまでに自分たちは勉強を大事に思っているでしょうか。当たり前に授業ができて、部活動ができて、友達と会話ができるありがたみを再認識したいものです。

 勉強とは、決して座学だけのことではありません。あらゆることにおいて知るということ、分かるということ、できるということすべてが勉強なのです。だから人は皆、学びたいと思っているわけですね。勉強が嫌いな人は、実はわからないから嫌いになってしまったのです。本当は知りたいし、分かるように、できるようになりたいのです。
 ここにとても大切な心構えがあります。それは、どんな勉強も自分次第ということです。どんなにつまらない話でも、自分の聞く姿勢で全く違うのです。どんなに難しいチャレンジでも自分の向き合う姿勢で全く違うのです。やる気や熱意があれば、学びはどんどん自分の中へと吸収できるのです。被災された生徒や学生さん達は、それを身をもって感じたのでしょう。真摯に耳を傾けましょう。
 有名な方が次のように言っています。「学びの素晴らしさは、誰もそれをあなたから奪えないことだ」と。


                    学校長  川合 一紀
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始業式

 新年を迎え、学校は今日、三学期の始業式を無事に行うことができました。地域や保護者の皆様、本年もよろしくお願いいたします。

 さて始業式では、避けては通れない話題「震災や飛行機事故、火災」の話をしました。まずもって亡くなられた方々にはお悔やみ申し上げるとともに、被災された方々にはお見舞い申し上げます。
 このホームページ過去の「つぶやき」を見ていただくとわかりますが、昨年5月5日に能登半島地方の珠洲市で震度6強の地震があったと話題にしています。この地方は2020年頃から群発地震が発生していて気象庁も注視していた地域です。それにしてもこれほどの地震が元日に起きなくてもいいではないかと思ってしまいます。元日の夕方など、1年で最もゆったりと過ごしていた時間ではないでしょうか。
「天災は忘れた頃にやってくる」とそのときの「つぶやき」にも書きました。被害状況がまだまだ詳細にわからない中ですが、ニュース等によれば、道路が割れ、津波が押し寄せ、土砂崩れが起きて家屋が倒壊している映像は13年前の東日本大震災を想起させます。また同じ悲劇が繰り返されてしまったと思わざるを得ません。しかし、過去の悲劇は消えませんが、着実に復興を遂げ前を向いて歩んでいくという人類の歴史があります。教訓を元に「我々に何ができるか」を考えようと、本日の始業式では話をしました。
 被災者に親戚や知人の方々がいらっしゃったら申し訳ありません。ごめんなさい。でも未来を担う若者に将来を託し夢をもってもらいたいと思ってお話をしました。この関連のお話は「学校だより」にも書きましたので読んでいただければ幸いです。

                    
                    学校長  川合 一紀
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2学期の終業式にあたり

 2023年もあとわずかで終わり2024年を迎えます。2学期の終業式は、こういった年の変わり目に当たり、新たな年を迎える際の心構えのようなお話をすることが多いです。今日は終業式で次のようなお話をしました。

 今年はうさぎ年でしたが、来年は何年ですか。「辰年」(たつどし)ですね。タツは「龍」という漢字が当てられドラゴンをイメージしますが、「辰年」の辰という字の別の読み方は「ととのう」と読みます。草木が芽生え、成長し、しっかりと生えそろった整った形になるという意味です。皆さんも来年はしっかりと整った完成形を目指し、自分を整えてみてはいかがでしょうか。
 さて、2週間程度しかない冬休みですが、どのように過ごすか決めていますか。
皆さんはマイケル・デルという人を知っていますか。デルコンピュータという会社の創業者です。この人の言葉にこんなものがあります。
 「やることを決めるのは簡単である。難しいのはやらないことを決めることだ」
 皆さんはこの冬休み、友人と遊びたい、ゲームをしたい、テレビを見たい、旅行に出かけたいとやりたいことはたくさんあるでしょう。その中に勉強も入れてあげてください。しかし1日24時間と限られた中で、できることも限界があります。どのように優先順位をつけるかと言えば、マイケル・デル氏のいう「やらないことを決めること」なのです。何をやらないことにするかを決めることは難しいけれど、それを決めることでやるべきことが浮かび上がってくるのですね。大晦日やお正月といった非日常が決断を鈍らせますが、どうか有意義に冬休みを過ごしてください。


 今年も1年あっという間でしたが、地域や保護者の方々のご支援があって無事にうさぎ年を締めくくれそうです。心から感謝いたします。皆様も良いお年をお迎えください。


                   学校長  川合 一紀

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自立と依存

 かなり昔のことですが、心理学者である河合隼雄さんのお話を聞く機会がありました。河合さんの元には多くの悩みを抱えた方が訪れます。ある方の悩みについてこのように語っています。

 私のところに、言葉がよく話せないという幼稚園児の母親が来ました。よくよく話を聞いてみると、知的に障害があるわけでもないのに私の前でも話せないのです。そこで母親の話を聞いてみると、自立のために小さい時から一人で寝かせていたとか。最初はぐずっていたようだけれども、次第に一人で寝られるようになり、今では自分から寝室に向かうというのです。親戚やご近所からは賞賛の声をいただくのも母親としては自慢のようでした。そこで私は「もっと親がそばにいて添い寝をしてやりなさい」というと、しばらくして、その子は今までを取り戻すかのように話し始めたというのです。
 多くの人が勘違いをしています。自立の反対が依存ではないのです。甘やかすと自立しないと思っているようですが、それは親自身が甘やかしている状態から抜け出せないから、すなわち親が自立していないからそうなるのです。親がしっかりと自立していて、子供の依存を許すと、子は親の姿から自ずと自立していくのです。自立とは、依存を排除することではなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれだけ依存しているかを自覚し、感謝していることだと思うのです。

 これは子どもだけの話ではなく、大人自身が自分も多くの人に依存していると自覚し感謝していないと自立しているとは言えないということですね。「依存を排除して自立を急ぐ人は孤立していきますよ」と河合隼雄さんはいいます。

考えさせられるお話でした。

                    学校長  川合 一紀

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「おはようございます」は何時まで?

 先日、2時間目後の休み時間に廊下を歩いていたら「おはようございます」と皆さんから声をかけられました。私も「おはようございます」と返しましたが、すれ違った後に皆さんの声が聞こえてきたのです。

 「ねえ、『おはようございます』でよかったのかな」
 「え?『こんにちは』だったかな」

 というようなもの。2時間目後の休み時間ということは10時45分頃なのです。さて、「おはようございます」は、何時まで通用するのでしょうか。

 実は明確な答えはないようですが、大まかな決まりはあるようです。テレビ放送の代表でもあるNHKでは、午前9時まで「おはようございます」といい、その後18時までは「こんにちは」で統一しているのだとか。
 一方で公益財団法人実務技能検定協会が実施している秘書技能検定試験では午前10時まで「おはようございます」その後18時までは「こんにちは」という決まりをもっているそうです。ちなみに池袋駅近くの西武百貨店や東武百貨店などの接客業では午前11時まで「おはようございます」と挨拶をし、夕方5時まで「こんにちは」とするところが多いのですが、つまりはっきりと決まっているわけではないのですね。
 私たちも感覚的に発していることが多く、今頃の17時では、すでに暗くなっていますから「こんばんは」と言ってしまいますが、夏の17時ではかなり明るくて「こんにちは」と言ってしまいます。時間帯を気にするよりも大事なことは、人と会ったら自分から挨拶をするということでしょうかね。

                   学校長  川合 一紀
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華氏451度

 これは、レイ・ブラッドベリ氏により1953年に書かれたSF小説のタイトルです。華氏451度というのは我々のよく使っている摂氏でいうと233度で、紙が自然発火する温度だとか・・・。

 近未来に人々が知識をもつことを恐れた政府が本をもたせないために世の中の本を全部燃やしてしまうというお話。あらすじはこんな感じ。
 舞台は、情報が全てテレビやラジオによる画像や音声などの感覚的なものばかりの社会。そこでは漫画以外の本の所持が禁止されており、発見された場合はただちに「ファイアマン」(昇火士)と呼ばれる機関が出動して焼却し、所有者は逮捕されることになっていた。理由は、本によって有害な情報が善良な市民にもたらされ、社会の秩序と安寧が損なわれることを防ぐためだとされていた。密告が奨励され、市民が相互監視する社会が形成され、表面上は穏やかな社会が築かれていた。
 だがその結果、人々は思考力と記憶力を失い、わずか数年前のできごとさえ曖昧な形でしか覚えることができない愚民になっていた。そのファイアマンの一人である主人公のモンターグは、当初は模範的な隊員であった。ある日、隣人であるクラリス・マクレランという風変わりな少女に出会う。クラリスと関わる事によって、モンターグは自分の人生や仕事に疑問を抱きだす。
 いかがでしょうか。1953年に書かれたとはいえ、正に今の世の中を揶揄しているように見えませんか。人間が知識をもたない社会、文字を読んで思考しない世界ではどうなっていくかというと、人々は皆ダイジェストとか要約とか画像や映像、ゲームといったものにのめり込んでいく。人間の適応能力はすさまじいものがあるので、何も考えなくて良い、わかれば良い、使えれば良いという人類になっていってしまうというのがこの本の結末。

 今の世の中では、YouTubeに大量のダイジェスト版が出ていますし、チャットGPTで考えなくても文書を作ってくれます。このままで良いのだろうかと深く考えさせられる一冊です。映画も出ていますからご覧になってはいかがでしょうか。


                  学校長  川合 一紀
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360度の人生

 先日、ある方とお話をしていてその方がこんな話をされました。

 「私は、あるセミナーに通って3年になるのですが、そこで学ぶことすべてが勉強になり、かつての自分と比較すると360度人間が変わりました」と。その方は一生懸命に力説されていたので、つい180度人間が変わったと言いたかったところを言い間違えたのだろうと思います。しかし私は、はたと考えました。「いやいや間違えではないかもしれないぞ」と思ったのです。算数・数学的には、角度を意味する180度は全く反対方向にと捉え、360度といえば元に戻ってしまうと考えます。でも人の人生は時間とともに成長をしています。時間が過ぎれば、全く同じ状態と言うことはあり得ないわけです。360度人間が変わるとは、自分という人間そのものは変わらないけれども、学びによって一回りしたように見えて、実は一段も二段も成長しているのだと、自分は変わったんだとおっしゃりたかったのかもしれません。
 いやぁ〜深いですねえ。今度その方にもう一度聞いてみます・・・。


                     学校長  川合 一紀
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桐生悠々

 「言わねばならないことをいうのは、愉快ではなく、苦痛である」
 これは、ジャーナリスト桐生悠々(きりゅう ゆうゆう)の言葉です。桐生悠々は信濃毎日新聞社の記者でした。

 1933年、日本陸軍が関東一帯で「防空大演習」をやりました。この時代は、まもなく戦争が始まるという気配濃厚な時だったのです。だからこれは、もし関東地方に敵機がやってきて爆撃機が爆弾を落とした時に、どうやって火を消し止めたらいいかという演習だったわけです。しかし桐生悠々は信濃毎日新聞の紙面で「関東防空大演習を嗤う(わらう)」という記事を書きます。「敵機を関東上空に迎え撃つということは、我軍の敗北そのものである」と断言したのです。関東で防空大演習をするってことは、敵機が関東上空にやってくることを前提にしている。爆弾を落とされた時点で大きな被害が出るのに、火を消し止める程度の訓練とは何事か。爆撃を受けるということはすでに日本軍は負けていることではないのか。そもそも、爆撃を受けないように守ることが必要で、本末転倒である。とまぁ、こんな内容の記事だそうです。
 至極、まっとうな意見ですよね。でもこの時代の新聞・ラジオをはじめとするメディアは、軍の批判をするようなことは御法度だったのです。桐生悠々は在郷軍人会から批判を受け信濃毎日新聞社を辞めます。
 しかし信濃毎日新聞社には桐生悠々の机が残っているそうです。「何物も恐れずに正しいことをきちんと言う。たった一人でも戦った先輩記者の姿勢を学びたい」という社風だそうです。
 そんな桐生悠々でも、言わねばならない正しいことでも、言ったことで巻き起こる事態を想像すると、辛かったと心を痛めていたことがよくわかります。

 いかがでしょう、同じような心境の方々もいらっしゃるのではないですか?


                   学校長  川合 一紀
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突き進む人間力

 藤井聡太さんが昨晩の王座戦で勝利し八冠を達成したニュースはご存じのことでしょう。以前この「つぶやき」で話題にしたのが、七冠達成した後に王座戦に挑むというタイミングでした。将棋界においてはとてつもない偉業なのだと思います。
 実は、私は昨晩テレビでこのライブ中継を見ていました。相手の永瀬王座とAIグラフが行ったり来たりと拮抗している状況でしたが、一手で局面がひっくり返ったのはAIも予想外であったのではないでしょうか。しかしその後のインタビューで藤井さんが語った言葉の方が驚きでした。

 新聞記者の「八冠達成おめでとうございます!」の声かけに「厳しい局面の連続でした。自分の実力不足を痛感しました」というようなことをおっしゃったのです。一般人からすれば、「藤井さんのような人が実力不足だったら他者はいかほどか?」と感じてしまいますよね。でもこの言葉の意味がわかるライブ中継でした。
 藤井さんは圧倒的に持ち時間が不利の中(確か、終盤では毎回1分しか持ち時間はなかったと思います)、とても落ち着いていて時間終了1秒前まで考えているというふうに見えました。一方で相手の永瀬王座もこの王座戦で4連覇もしている強者ですが、とても焦っていて苦しい表情が印象的でした。
 囲碁の世界で七冠達成をしている井山王座が藤井さんのことを次のように評していました。「藤井さんは、目の前の勝敗よりも常に『自分はどこまで行けるのか』という先を見ている技術以外の人間力があるのだと思う」と。人間は常に先を見据えて前進できる存在であると著名な科学者も述べています。だからあんなに落ち着いているんでしょうかねえ。

                     学校長  川合 一紀
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そうぞう

 「そうぞう」というとどのような字を思い浮かべますか。おそらくこの2つ「想像」と「創造」。他にもありますが、まずパッと浮かぶこの漢字はそれぞれ意味が違いますよね。
 「想像」とは、頭の中で思い描くこと、そして「創造」は何か新しいものを作り出すことと辞書には載っています。でもこの「創造」とは、今まで誰も思いつかなかった見方や考え方を示すものだと言ったのは物理学者の湯川秀樹氏。
 なるほど、単純に新しいものを作り出すというよりも、独自の発想から今までに無いものを生み出すことと捉えるようです。例えばiPhone15が発売になって「新しいものが出た!」というのはiPhone14がiPhone15になっただけで創造されたとは言わない。スティーブ・ジョブズが2007年に電話とインターネットの融合として初めて世に出した「初代iPhone」こそが創造だったわけです。
 もちろんこの段階に至る前には、実は頭の中で「あゝでもない、こうでもない」と想像していたはず。つまり想像も全く無の状態から生み出せるものではなく、経験や体験があってこそ想像できるのですね。赤ちゃんに「想像してごらん!」といってもそれは難しいことかもしれません。
 想像と創造は無関係ではないようです。
 ところで受験生の皆さん、入試問題に「想像して、創造してみよう」なんて問題が出たら・・・「そう、ぞっとしませんか」 ん?


                    学校長  川合 一紀
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心温まる話

 今日の全校朝会で、困っていた小学生を助け家まで送り届けたという3年生の心温まる行動についてお話をしました。実はそこでは紹介しませんでしたが、2年生の都内巡りにおいても心温まる行いがあったのです。
 レストハウスでの昼食で、ある生徒が「とてもおいしかったです」といった内容のちょっとしたお手紙を残していったそうです。それを見たレストランの方々がいたく感動され素晴らしい生徒だとお褒めの言葉をいただいたのだとか。
 優しい心や親切心からの行動は、誰が聞いても心が温かくなります。そしてこのような行動は伝播していくのですね。巣鴨北中生の日頃の行動が、いつもいつも相手を思いやり、加えて自分も良い思いになっていくという相乗効果があるようです。先生達も嬉しくなりました。

 こういう人は必ず幸せになります。そしてその幸せをみんなにも分け与えていく存在なのです。巣鴨北中学校の生徒はそんな人であると自信をもって言えるのですね。

 あなた達の行動に感謝します。ありがとう!!


                      学校長  川合 一紀
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本当の人権教育

 猫のゾルバは言った「きみはぼくたちとは違っていて、だからこそぼくたちはきみを愛している」。
 これはルイス・セプルベダさんの著書「カモメに飛ぶことを教えた猫」の中に出てくる主人公ゾルバの言葉です。お読みになったことがありますか。あらすじはこんな感じ。


 ドイツにあるエルベ川沿いの港町ハンブルクで、のんきに暮らす猫のゾルバ。彼が運命のいたずらにより、瀕死のカモメから1個の卵を預かる。死にゆく母鳥カモメとの約束。それは、その卵を食べないこと、ヒナが生まれるまで卵の面倒をみること、そして生まれたヒナに飛び方を教えることの三つ。彼は、仲間たちの協力を仰いで卵を温め、生まれたヒナをフォルトゥナータ(幸運な者)と名付け、餌の確保に奮闘し、チンピラ猫を追い払い、ネズミのボスと休戦交渉をする。
 そんな苦労の甲斐あって、フォルトゥナータはすくすく育ち、いよいよ巣立ちの日も間近と迫る。そんなあるとき、フォルトゥナータは言う「でもわたしは、飛びたくなんかないの。カモメにだってなりたくない。わたしは猫がいいの」と。なんと猫に育てられたカモメのフォルトゥナータは、自分も猫になれると思い込んでいたのだった。そこでゾルバは「これまできみが、自分を猫だと言うのを黙って聞いていたのは、きみがぼくたちのようになりたいと思ってくれることが嬉しかったからだ。でも本当は、きみは猫じゃない。きみはぼくたちとは違っていて、だからこそぼくたちはきみを愛している」と打ち明ける。そしてこう締めくくるのだった。
「きみのおかげでぼくたちは、自分とは違っている者を認め、尊重し、愛することを知ったんだ。自分と似た者を認めたり愛したりすることは簡単だけれど、違っている者の場合は、とてもむずかしい。でもきみといっしょに過ごすうちに、ぼくたちにはそれができるようになったんだ」


 いかがですか。読んでみたくなりましたか。国籍や人種・宗教の違いで差別する世の中を、我々日本人はあまり切実には感じていないかもしれません。しかしどうでしょう、学歴や職種、病気や考え方の違いから起こるいじめや排除は正に差別そのものであり、日本人の私たちにだって身近にある問題です。でもゾルバは、猫とカモメという間柄にありながら、最初はやむなく交わした母鳥カモメとの約束であったかもしれないけれど、ヒナの成長を見守り、次第に心を通わせ、相手を尊重し愛することでその垣根をなくしていくのです。だから冒頭の言葉が言えるのですね。ゾルバに教えられますよ・・・本当に。

 え〜っと確か・・・劇団四季のミュージカルでもやっていた記憶がありますね。


                      学校長  川合 一紀

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君たちは一人ではない

 9月1日が来て2学期が始まりました。夏休みが明けて残念に思う人もいれば、友達や先生に会えるから待ち遠しかったという人もいることでしょう。しかし、2学期が始まって「嬉しいか」「残念か」という2択ではないのが人の心です。「友達に会えるから学校が始まるのは良いけど宿題が上手くいかなかったから嫌だな」とか「修学旅行や宿泊行事が迫ってくるからワクワクして楽しいけれど定期テストも近いからちょっと嫌だな」というようにどっちとも言えない複雑な心境が正直なところではないでしょうか。
 この夏休みの間、楽しいことばかりではなかったかもしれません。そんなとき誰かに相談しましたか。皆さんは、無人島に住んでいるわけではないので必ず誰かのお世話になっています。いや、無人島に住んでいる人だって、人間はいないかもしれないけれど釣りをして魚と食べていたり、狩りをして食べ物を得ていたりするわけですから、島の生き物に支えられていると言って良いでしょう。そう考えたら、ここにいる誰一人として他者からお世話になっていないという人はいないわけです。けれど「心の無人島」に佇んでいる人はいるかもしれません。見回せばたくさん声をかけてくれる人や、相談にのってくれる人がいるのに「自分なんて」「私は一人だ」と心が無人島に行ってしまっている人はいませんか。先ほども言ったように、無人島にいたって人は一人ではないのです。気づいて欲しいと思います。
 もちろん、楽しい夏休みで悩みなんて一つも無い、学校が始まって「さあ、頑張るぞ!」と意気込んでいる人もその楽しかったことを話してください。皆さんは一人ではない、学校とはそういうところです。

 2学期はその年度の折り返しの時です。何事にもチャレンジを忘れずに取り組んでください。著名な方々が「諦めたときが失敗である」と口々に言います。あと少し頑張れば成功したのに、そこで諦めるから失敗になってしまうというのです。諦めなければ成功につながるというわけですね。そこまでの努力は無駄になりません。諦める前に、ちょっと立ち止まって考えましょう。「もう少しやればできるのかも・・・」と。


 始業式ではこんなお話を生徒にしました。どうぞ2学期も保護者地域の方々のご協力とご理解を賜ればと思います。よろしくお願いします。


                   学校長   川合 一紀
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1学期が終了しました!

 74日間(1年生は73日間)の1学期が無事に終了しました。保護者の方々のご協力や地域の方々の支えがあって過ごせた4ヶ月間でした。心から感謝いたします。今日の終業式では、生徒達に次のような話をしました。

 生徒達は皆立派に成長しました。1年生は緊張の入学式から、今ではすっかり巣鴨北中学校に慣れ楽しく過ごしました。2年生は巣鴨北中学校の中心的存在として大きく成長し見違えるようになりました。そして、なんと言っても3年生は素晴らしい!巣鴨北中学校の顔として、自覚をもち責任をしっかりと果たしてくれた1学期でした。実は6組は14名もの1年生を迎え、2,3年生には先輩としての自覚が生まれたと先生たちも喜んでいました。
 もちろん振り返れば、上手くいかなかったことも沢山あることでしょう。しかし過去を変えることはできません。また、未来を模索して思い描くこともあるけれど、思い通りになるとは限りません。だから「今をしっかり生きること」今この瞬間を大事にすることが、これからの人生で大切なのです。
 実りの秋とは、過酷な厳しい夏を通り越してこそ、その先に見える姿のことを言うのです。今やるべきことをしっかりと見据えて、夏休みを過ごして欲しいです。2学期は9月1日(金)です。元気でたくましく成長した姿で会うことを楽しみにしています。

 保護者の皆様も、ご家庭でお子様と楽しく過ごしてください。ご家庭の優しさと支えが、生徒にとっての成長の糧になります。ありがとうございました。

                    学校長  川合 一紀
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フェイスブックとツイッター

 皆さんの中にも、このフェイスブックやツイッターというSNSを利用している方は多いでしょう。そもそもフェイスブックとはどのようにして生まれたのでしょうか。
 実はこの生みの親であるマーク・ザッカーバーグという方は、ハーバード大学在学中に同級生の女の子にフラれてしまうのです。そしてなんとか彼女を見返してやろうとしたことがきっかけでできあがったといわれています。
 ハーバード大学では、学生たちの名前と顔写真が入った学生名簿というものを管理しています。つまりこれがフェイスブックですね。ザッカーバーグさんはこのデータをハッキングして女子学生の写真を並べ、誰が一番可愛いかという品評会をやっていたんですね。怒られますよね。もちろん、それが大学当局にバレて停学処分を受けます。しかしこれをきっかけに任意で学生達がフェイスブック上で自己紹介をし始めたのです。そして「私も入れて!」といって次から次へと人数が増え、ついには他大学の学生や高校生にまで広がってしまいます。これがSNSフェイスブックの始まりです。今ではここに広告を入れるなどしてザッカーバーグさんは大成功しています。

 ツイッターというのは、鳥のマークからも想像できますが「鳥のさえずり」という意味です。鳥のさえずりのように短い文章で自由な発言ができると評判になりました。こういうネットワーク関連のものは今でもどんどん増えています。そう言えば、米国の会社が新たに「スレッズ」というSNSサービスを出すんだとか・・・。何がきっかけで成功するかわかりませんからねぇ・・・。

                   学校長  川合 一紀
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科学って宗教?

 アルベルト・アインシュタインと言えば、「相対性理論」なる考えを世に送り出した理論物理学の第一人者として有名ですが、実は哲学者としても名は知られているんですね。たくさんの名言を残しているそうですが、その中に「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切なことは、何も疑問をもたない状態に陥らないことである」というものがあります。

 過去は単なる記憶であり、未来は不確定な事柄なので、今をしっかり生きるという考え方は、他にも多くの方が語っています。単なる記憶であってもそれはとても重要な財産であるから経験知の宝庫と言えます。そこから学ぶことは大変有用ですよね。そして未来は予測できないけれど、「こうなったら良いなあ」と希望がもてるように、今日を精一杯生きるのですね。そして漫然と過ごすのではなく、常に自分に問いを発すること。
 これ実は、問いを発することで脳波が活性化され、時間の進み方を遅くさせることができるという、突拍子もないことを大真面目に研究している方々がいらっしゃるんです。さらに何とこの考え方は仏教にも通じるところがあるのだとか・・・。宗教と科学の融合ですね。

 いきなり言いましたが、時間の進み方が遅くなるとはどういうことなのか、それってどんなことに関係するのか、我々の生活にどんな影響があるのか・・・。気になりますよねぇ。どこかでこの話題深めていきたいと思います。

                     学校長  川合 一紀
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最新更新日:2024/06/14
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学校行事
3/18 (1,2)卒業式準備
3/19 第23回卒業式
3/20 春分の日
3/21 (1,2)保護者会
(3)定時制二次出願日
3/22 (1,2)大掃除

給食献立

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豊島区立巣鴨北中学校 いじめ根絶・体罰によらない学校宣言

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