合成の誤謬
「ごうせいのごびゅう」と読みます。これは、小さな視点(ミクロ視点)では合理的な行動であっても、それが合成された大きな世界(マクロ視点)では、必ずしも正しい行動、合理的な行動とはならないという意味の経済学用語です。
ちょっと難しいですよね。漢字も難しい字だし・・・。 具体的な例を挙げましょう。例えば皆さんがサッカーの試合を見にスタジアムに行ったとします。自分の座席からはピッチが遠くてよく見えない。そんなときは座席から立ち上がった方がより遠くを見渡せるので、これ合理的ですよね。でも、観客全員が立ち上がったらどうでしょうか。背の高い人がいたりしたら全く見えなくなってしまう。つまり一人一人の行動は合理的でも、全体がそのようにしてしまったら合理的ではなくなるというわけです。 これ経済学用語ですから、一般的な例としては、一人一人が貯蓄をして将来のために備える行動はミクロな視点では合理的ですが、世の中の人全員が貯蓄をしてしまえば、お店や会社・企業にはお金が回らなくなり結果的には個人の得る給料が減ってしまうという循環に・・・、ということのようです。 ただ誤解して受け止めない方が良いのは、「正しいことを積み重ねても無駄だ!」とか「全体の利益を考えて行動しない人は駄目なんだ!」という話ではないところです。まずもって、「個人個人が目の前の正しいことを積み重ねていく」のは大前提として、ミクロの視点での正しい行動とマクロの視点での正しい行動を一致させるように考えることが大事なのだそうです。 先の例で言えば、サッカースタジアムの座席で全員が立っても見られるような座席配置とはどうしたら良いかを考えること、のようです。まあ、私たち一人一人は、この行動がみんなのためになるのか、そうでないのならばどうのように変えていったら良いのか、という視点で物事を考えましょうということみたいですね。 今日はちょっと難しかったですねぇ。ごめんなさい・・・。 学校長 川合 一紀 |
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