目白小の歴史

1929.9.2
北豊島郡高田町高田第五尋常小学校

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目白小学校は昭和4年9月2日に「高田町高田第五尋常小学校」として授業を始めました。元学習院の官舎と馬場であったところに建てられました。木造校舎の洋風二階建てで,床は板張りでしたが,一階の廊下はコンクリートでできていました。
初代校長先生は,名倉愛吉先生でした。児童数は604名,学年は1年生から5年生までで16学級でした。
学校の前の通り(目白通り)はせまく泥々の道でした。また道路の並木に馬をつないで昼食を食べるなどののどかな風景も見られました。

1930.10.16
校歌制定

10月には校歌が制定され,3月には初めて卒業式が行われました。しかし,まだ講堂がなかったため,教室の境を取り外し,2教室を使っての卒業式でした。昭和7年に校舎が増築され,児童数は1220名,クラス数も22学級になりました。

1935.7.22
高田遊泳池開設

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昭和9年になるとプールができました。(高田遊泳池)場所は現在の学級園のところでした。夏休みは毎日のように水泳指導があり,特に後半は秋の水泳大会のために選手養成の期間として,特別な練習をしました。

1939.2.12
皇紀二千六百年並びに創立十周年記念式典挙行

昭和14年には皇紀二千六百年並びに創立十周年記念式典が行われました。10周年記念の授業として,各教室にラジオが設置され,これを使って校長先生の話や,週番の放送を流しました。また,理科室の各テーブルに電気やガスが設置されたおかげで,今まで教卓の上でしかできなかった実験を児童が自分たちのテーブルで自在にできるようになりました。今,目白小のシンボルとなっている「ヒマラヤ杉」もこの時期に植えられたものです。当時は高さは3メートルくらいしかありませんでした。

1941.4.1
東京市高田第五国民学校と校名を変更する

昭和16年に太平洋戦争が始まると,いつ空襲があるかわからないので,集団下校が始まりました。集団訓練や下校訓練も行われ,校外組織が強化されました。

1944.8.25
児童の一部(3年生以上)長野県下高井郡平穂町に疎開
1945.3.
第2次疎開(2年)
1945.4.

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戦争の被害が東京に及ぶようになると,集団疎開をするようになりました。目白小学校の児童は,3回に分けて主に3カ所へ疎開しました。疎開先での学習は週1回,午後のみ学校へ行き,後は宿舎で学習しました。食材確保のため野草を自分たちで採りに行ったり,全員で買い出しに行ったりしました。

1945.8.15
終戦
1945.11.
疎開先からの帰郷始まる

昭和20年に戦争が終わると疎開先からの帰郷が始まりました。しかし疎開児童船員がすぐに戻って来たわけではなく,本校への復帰が完了したのは翌年の3月でした。

戦争が終わるとみんなと一緒に勉強できるようになりました。しかし校舎が完全になおっていなかったため,焼け跡での青空教室も一時行われました。また,週5日制で,週に一度は食料休暇といって,畑をつくったり買い出しに行ったりと,まだまだ食料が十分にあるというわけではありませんでした。教科書は,墨塗りの教科書で歴史の本などはほとんど読めない状態でした。

1947.1.20
学校給食開始

昭和22年になると,給食調理室が完成し学校給食が始まりました。また同じ時期に図書館も完成しました。

1947.4.1
東京都豊島区立目白小学校と校名改称

〜二部授業だったころ〜
「私たちが入学したころは,学校は二部授業をしていました。私たちは朝行って上級生が午後来るのです。二年になると二年どうしで朝行く組と,昼行く組に分かれて一週間ずつ行くのです。」〔30周年記念誌より〕
二部授業は昭和三一年の増築校舎完成まで続きました。

1954.11.2
創立25周年記念式典挙行

25周年記念事業として,新しい校歌がつくられました。(今の校歌です)その年の3月6日には校歌の発表が講堂で行われ,パイプオルガンによる演奏で大合唱が響きわたりました。

1960.6.2
鉄筋校舎改築完成

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写真の右側に見えるのが昭和35年に造られた鉄筋校舎です。正面に見えるのはプレハブ校舎で,その後ろ見えているのが改築中の校舎です。

1967.11.7
「生きてはたらく能力を育てる」研究発表会

昭和42年になると,初めて全校遠足が行われました。場所は飯能でしたが,クラス数が30以上もあったため学校の出発もずらして行いました。このクラス数からも,大変大人数だったことがわかります。

1968.10.23
明治百年記念式典挙行

昭和43年には「明治百年記念式典」が行われました。その時に記念樹として植えられた「月桂樹」は今も学校に残っています。(目白通り側の塀にある「月桂樹」です)

1969.11.2
創立40周年記念式典挙行

写真を今の位置と比べてみると,プールの位置などが違うことがわかります。

1974.8.22
旧校舎解体作業開始

昭和49年から体育館と鉄筋校舎の(今の職員室がある校舎)の間に新しく鉄筋校舎を造ることになりました。
この改築で,防音・空調(冷房・エアークリーナー)が完備されました。また,この年の春の運動会は学校の校庭が使えないため千登世グランドで行いました。

1976.3.6
新校舎落成式

新校舎ができあがり,校庭のコンクリート舗装が終わり,玄関に校章が取り付けられました。

1977.3.5
段差式プール落成式

昭和52年になり,新しいプ−ルができあがりました。「段差式プールは低学年児童の水遊びによい。」「苦手な児童でも思い切り水遊びが楽しめる。」などの理由から造られました。また,同じ年には体育館倉庫と飼育小屋が造られました。

1980.2.16
創立50周年記念式典挙行

昭和55年の2月16日に創立50周年記念式典が行れました。この年には,記念の運動会や展覧会など目白小学校の50歳をお祝いしての行事がたくさんありました。

1991.7.1
夏帽制定

平成という新しい年号になり,平成3年には,夏には紺色の帽子では,暑いだろうと考えられ,夏帽が新しく決まりました。薄い水色の帽子で6月から9月まで使われています。

1992.2.22
正面校名板取り付け

校名板
創立60周年を記念して文化勲章を受賞された金子鴎外先生により校名板が寄贈され、平成4年には,目白通り側に校名が取り付けられました。 なお、この校名板に記されている「東京都豊島区立目白小学校」は、金子鴎亭先生による書で落款が刻まれています。

1992.3.28
昭和20年3月の卒業式を挙行

平成4年3月28日に教育委員会主催のもと、昭和20年3月戦争のため中止となった卒業証書授与式が、あらためて挙行されました。

1997.12.10
コンピュータ教室新設

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2003.1.
コンピュータ更新

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平成9年にはコンピュータ教室が作られ,20台のデスクトップ型コンピュータが設置されました。今ではそのデスクトップ型コンピュータもコンピュータ教室に40台,各教室に1台ずつ,ノートパソコンも21台が導入され,1年生から6年生までが,授業で使うだけでなく委員会やクラブ発表にも積極的に使っています。教科書だけの授業からインターネットを使って多くの情報を得たり,全国の学校とアクセスしたりするなど幅広い学習ができるようになりました。

1999.11.1
創立70周年記念式典挙行

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平成11年11月1日,70回目の誕生日! おめでとう!!

2004.4.1
第二音楽室・第二図工室普通教室へ改築

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児童数が増えて、教室が少し変わりました。第ニ音楽室や図工室が普通の教室になりました。児童数が増えて一段と楽しい毎日になりました。

2004.10.28
創立75周年記念式典挙行

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10月28日には目白小学校の75歳の誕生日をお祝いして,記念式典が行われました。その時には、目白祭りも行われ,児童・職員全員で「明るく,楽しく,美しく」お祝いをしました。

2009.11.2
創立80周年記念式典挙行

目白小学校の80歳の誕生日。記念式典だけではなく、学習の成果を発表した「学びの祭」、なかよし班ごとに活動をする「遊びの祭」が行われました。

2011.7.1
区教育委員会教育研究校研究発表(小集団コミュニケーション)

2012/8/27
椎名町校舎での授業開始

2014/8/27
新校舎での授業開始

2014/10/11
落成式・85周年目白まつり

2015/11/5
豊島区教育委員会教育研究推進校研究発表
(生活科・総合的な学習の時間)

2016/5/19
豊島区学校保健大会 健歯推進校受賞

2018/10/16
豊島区教育委員会教育研究推進校研究発表
「本気の対話で深い学びを生み出す目白の学習」
〜国語科「読むこと(文学的文章)」の学習を通して〜

2019/11/16
創立90周年記念式典

2020/9/15
全児童にタブレットPCを配布