最新更新日:2024/12/25 | |
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絵本っていいなぁ
絵本の紹介です。「絵本なんて・・・」と言わないでください。とても心揺さぶられる絵本なのです。タイトルは『アインシュタイン 時をかけるネズミの大冒険』。トーベン・クールマン氏という絵本作家の第4作目です。ご存じの方もいらっしゃるでしょうか。『ネズミの冒険』シリーズの一つです。
まず絵がきれいですね。さらに絵本といいながら100ページを超える読み物としても良い作品です。ネタバレにならないようにざっくりとあらすじを・・・。 小ネズミは、心待ちにしていた大チーズフェアに間違えて1日遅れて行ってしまいます。諦めきれずに時計の針を手で止めてみたり、戻してみたりとしますが、時間を戻すことは出来ません。「時間ってなんだろう」と考えているとき、小ネズミは時計屋の店主を見つけます。店主に「時間って、何?」と聞きますが店主も分かりません。しかしそこで店主から80年前に住んでいたというアインシュタインのことを聞きます。そして、小ネズミはタイムマシーンを作成してアインシュタインに会うことに・・・。さらにアインシュタインからは時間に関わることを教えてもらいます。さぁ、小ネズミは大チーズフェア当日を目指すのですが・・・。 どうですか?何だかワクワクしませんか。夏休みに絵本を見るなんて、そんな余暇もいいのではないでしょうか。 学校長 川合 一紀 ブースター接種ここへきて見かけるキーワードが「2回目難民」なる言葉。1回目の接種は終えたものの、2回目の予定が立たないというわけですね。以前から言われているようにこのワクチンは2回接種することで効果を十分に発揮するらしいですが、ちょっと気になるニュースもあります。「ブースター接種」という3回目を打つという話題です。2回目接種から半年ほどするとその効果が下がり、感染リスクが増えてしまうというデータがあるため、米ファイザー社は3回目を推奨する申請をするというのです。 ん〜、どうなんでしょうかね。未だに1回目接種すら進んでない国々もある中で、この追加の判断はどこまで伸びていくのでしょうか。結局、自衛手段として、マスク着用と手洗いうがいの徹底、人混みは避けるという方策しかないのでしょうかね。先が見通せないというのは困ったものですねぇ。 学校長 川合 一紀 自然の猛威には・・・
カナダ西部に位置するブリティッシュコロンビア州(BC)リットンで、先月末に気温49.5度を観測したそうです。この地の今までの最高気温は1937年に記録された45度。ここ連日、ヒートドーム現象と言われる大きな高気圧に覆われ、記録的な暑さが続いているのです。このカナダ西部にはバンクーバーという有名な都市がありますね。ここは清涼な地域で夏場でもエアコンを使用しないとか・・・。そもそもエアコンを設置していない居住地もあるそうですが、そんな中でこのような熱波に襲われ、沢山の人が亡くなっているという報道もあります。日本では週末の豪雨で、熱海地方において、大規模な山崩れによる土石流で命を落とした方々もいました。心からお悔やみ申し上げます。
沖縄や奄美地方は梅雨明けをしました。関東地方もあと半月ほどすれば梅雨明けでしょうか。真夏になれば、記録的な気温上昇は人ごとではありませんよね。梅雨明け直前には、雷や集中豪雨は例年のようにあります。ましてや新型コロナウイルス感染予防のマスク生活を余儀なくされている状況ですから、厳しいですね。災害対策や暑さ対策にも気を配り、夏本番の体調管理も丁寧にしていきましょう。 学校長 川合 一紀 みるく世「みるく世」という言葉は、聞き馴染みのない方も多いと思いますが、沖縄の方言で「神様が納める平和で豊かな世界」という意味だそうです。「みるく世」はもともと「みろく世」であって、つまり「弥勒(みろく)の世」が転じて出来たようです。弥勒とは弥勒菩薩のことで、沖縄では弥勒神として親しまれています。 この詩の最後には、「みるく世を創るのはここにいる私たちだ」という言葉で締めくくられています。この前段には戦争を振り返り、過ちを繰り返さないという決意が述べられていますが、今の世の中を見渡しても、「過ちを繰り返さない」という意図は、政治社会全般の様々な事柄に当てはまると思いますねえ。 まさに、平和な世の中を創るのは、地に足をつけて、真剣に未来を考えられる、私たちなのだと若者は叫んでいるのです。大人も真剣に受け止める必要がありますね。 学校長 川合 一紀 避難訓練を行いました夏至
今日6月21日は夏至(げし)です。一般的には、昼間の時間が最も長くなる日と理解されています。これは、地球の軸(地軸)が少し傾いているために、1年間を見ると、太陽の昇る位置が少しずつずれていくためで、この夏至の日は、太陽が最も北寄りの東から昇り、最も北寄りの西に沈みます。概ね太陽の出ている時間は14時間34分(東京)です。1日24時間ですから夜より2時間34分も長いことになりますね。
この夏至は、地球規模の現象ですから日本だけのものではありません。日本では三重県の伊勢神宮参拝前に訪れると良いとされる二見輿玉(ふたみおきたま)神社の「夏至際」が有名です。世界を見渡すと、イングランドではストーンヘンジで行われる夏至際、ギリシャでは「聖ヨハネの日」と併せて行う夏至際、スゥエーデンではミッドサマーと呼んでやはりお祝いするとか。フィンランドの夏至際は、一日中太陽が沈まない(白夜)特別な日とも言われるようです。 夏至の日が過ぎると一気に夏へとまっしぐら。おっと!その前に期末考査がありましたか・・・。 川に落として引き上げる「えー!!なんで分かるんですか」 「最近、良くないことが続いてませんか。物をなくすとか、空き巣に入られたとか・・」 「そういえば、この間、お財布を落としたの・・・それに・・・」 「そうでしょう、でも安心してください。この壺を置いておくだけで運気が上がります」 こんな訪問販売や勧誘を聞いたことがありませんか。この例は古典的ですが、中には言葉巧みに誘ってくる例もあるようです。これは、人の心理を上手く利用したもので、最初に人を川に落として、それを引き上げて感謝させるといったやり方です。 近所の掲示板に貼ってある講演会のポスターを、ふと見ると「世の中はどんどん変わる!この変化の中で私たちはどう生きたら良いのか、これからの人生についてお話しします!!」など、これも相手を不安にさせておいて助けてあげるという同じ手法です。 でもよく考えてみてください。一度マイナスにされて、そこからプラスにされても差し引きゼロですね。そもそもそんな不安がなかったのに、無理矢理川に落とされたわけです。だからよくよく見極めないといけませんよね。 SNSをはじめとする昨今のニュースソースは、とりわけこの傾向にありがちです。人は、多かれ少なかれ不安をもっているものです。そこをほじくられて大きくならないためにも、自分の生き方に自信をもちたいものです。 学校長 川合 一紀 泣きたいときには泣いていい・・・
人前で泣くなんて・・・。大人になるとこういった感が強くなりますよね。子供の頃はワンワン泣いていたのに、成長とともに泣かなくなるのも自制心が育ってきたせいでしょう。しかし感情の昂ぶりということで言えば、経験豊富な大人のほうが「泣ける」要素はたくさん持っているといえますから、大人が泣いたっていいわけですよね。大人であっても純粋な心をもち、子供のように泣ける人は素敵です。私は人前では恥ずかしくて泣けません。でも一人で感動的な映画を見て泣くことはよくあります。(年のせいかな?)すると泣いた後は、本当に清々しい気分になるものです。
医学的に見ても、涙を流すことで緊張やストレスに関係する交感神経から、脳がリラックスした副交感神経に切り替わるというわけですね。お子さんはどうでしょうか。中学生が人前で声を出して泣くことはあまりないかもしれませんが、涙を流していたら「泣いたっていいんだよ」と優しく声をかけてあげてほしいです。人前で泣くということは、その人に心を許しているという証拠。信頼関係を深める絶好のチャンスです。 学校長 川合 一紀 eスポーツ
皆さんはeスポーツというのをご存じですか。これはElectronic Sportの略語で、テレビゲームを使った対戦をスポーツ競技として捉えたものです。アメリカでは、すでにeスポーツをスポーツとして認めていて大会も行われ、プロゲーマーがスポーツ選手として位置づけられているようです。日本でも認知度は高まりつつありますが、様々な課題もあるようです。ところでスポーツの定義とはどうなっているのでしょうか。
スポーツ庁では、「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことはすべての人々の権利」としていて、誰もが身体を動かすことを心から楽しみ、健康で、豊かな日本を作りましょうとしていますね。「スポーツ」と聞いて、みなさんは何が頭に思い浮かびますか? 陸上や水泳、野球にサッカー、テニスといった球技など、いわゆる体育の授業や部活動で経験したことがある競技種目を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、「スポーツ」という言葉が示す範囲は本来とても広いもので、決して競技スポーツに限るものではありません。 スポーツ庁が定める「第二期スポーツ基本計画」では、スポーツとは「身体を動かすという人間の本源的な欲求に応え、精神的充足をもたらすもの」と定義されています。だからウォーキングや散歩をするのもスポーツであり、場合によってはそれを観戦して楽しめるのであればそれもスポーツというわけです。そもそもスポーツという言葉の語源は、ラテン語の「deportare」(デポルターレ)という単語だとされています。デポルターレとは、「運び去る、運搬する」の意味です。つまりこれがスポーツの本質であり、人生を楽しく、健康的で生き生きとしたものにするために、より楽しむために勝利を追及するもよし、自分のペースで楽しむもよし、誰もが自由に身体を動かし、自由に観戦し、楽しめるものであるべきなのです。 さあ、このように考えると先に述べたeスポーツは、定義に照らしてスポーツと呼んでいいのでしょうか。皆さんはどのようにお考えになりますか・・・。 学校長 川合 一紀 あなたは何枚目?
先週のニュースにありましたが、「永遠の二枚目」と呼ばれた俳優の田村正和さんが亡くなられました。77歳だそうです。私も沢山の時代劇やドラマを見せていただき楽しませてもらった者の一人です。亡くなられたことは誠に残念ですが、ご冥福をお祈りいたします。
さて、ここで二枚目という言葉が出てきましたが、この意味をご存じの方はかなり年齢の上の方だろうと思います。若い人たちの言葉で言えば、イケメンとでもいいましょうか、いわゆるカッコイイ美男子のことを指しますね。では、なぜ二枚目というのでしょうか。この二枚目という言葉の語源は歌舞伎の世界にありました。実は一枚目から八枚目まであるのです。 驚きです! 歌舞伎役者を紹介する看板が8枚あったところからだそうですが、そう言われて見てみると1枚目の看板には主役の人が描かれています。そして2枚目の看板には、まさにイケメンの美男子が描かれます。3枚目はお調子者のお笑い担当、今でも3枚目という表現は通用しますよね。さらに4枚目は、まとめ役の中軸となる役者さん、5枚目は敵役、6枚目は敵役でも憎めない存在の人、7枚目は敵役の中でも最も悪い悪役の人、今で言うならラスボスですかね。そして8枚目は元締めとなる座長が描かれていたのです。役者さんの役柄ですから、その役になりきって演技をすると言うことだと思います。それでも田村正和さんは、毎日の素の自分の生活から二枚目を貫き通していたのだとか。やはり永遠の二枚目だったんですねぇ。 学校長 川合 一紀 努力できる天才
広告業界の権威であるドニー・ドイチェの言葉に次のようなものがあります。「才能ある全ての人の中で、極めて高い場所にたどり着く百人に一人は、『私にだってできる』といって、目標に向かって努力する人です」
自分に自信をもって努力することのできる人は、それだけで才能があると言えます。加えて「人が出来たのだから私にできないはずはない」と思えるかどうかも希少価値です。そう思って努力することが夢の実現に大きく近づくのだと思います。小さなことでもコツコツと積み重ねる努力の出来る人は、必ず努力は報われるのだというわけでしょう。しかし言うのは簡単ですが、継続することはなかなか難しいですよね。人は誰しも、誘惑に揺さぶられます。失敗すればどうしたって「だめなんじゃないか」と思いたくもなります。しかしそこで気分を切り替えて「やればできる」と思えるかどうかなんでしょうね。 芸能人の誰でしたか「やればできる!」とニコニコ顔で言っているのも、決して間違えではないのですよね。ちなみに、その彼の通っていた高校の校歌には「やれば出来るは魔法の合い言葉」という歌詞がはいっているのだとか。 だから上述のように考えるならば、持って生まれた天才はいないのかもしれません。努力できる天才はいるのかもしれませんけれど・・・。 学校長 川合 一紀 生徒総会、オンラインで実施!
各クラスで委員長の話をオンラインで聞きました。
関係の鏡
一人の男がある村を訪ねて、その村の長老に会いに行きました。訪問者は言いました。
「この村に引っ越そうかどうか考えています。ここに住む村人たちはどんな人か教えていただけませんか」すると長老は「あなたが住んでいた村の人々は、どんな人たちでしたか」と逆に訪ね返してきました。訪問者は「強盗、詐欺師、嘘つきだらけです!」と答えました。長老は答えました。「この村の人たちもまったく同じ人間ばかりですよ」と。訪問者は、二度と戻ってきませんでした。 しばらくして別の男が村にやってきて、長老に話を聞きに行きました。訪問者は尋ねました。「私はこの村に引っ越そうかどうか考えているところです。ここに住む村人たちはどんな人か教えていただけませんか」すると長老は言いました。「あなたが住んでいた村の人たちは、どんな人たちでしたか」訪問者は答えました。「とても親切で、優しくて、思いやりがあり、愛情深い人たちでした。会えなくなると思うと、とても寂しく感じます。」そして長老は言いました。「ここに住んでいる村人たちも、まったく同じ人間ばかりですよ」と。 このお話は、他者に見えているその特徴が、実は自分のもつ一番強烈な性格であるということを言い表しているのだそうです。自分がそういう考えで過ごしているから、他者もそのように見えてしまうのですね。これを「関係の鏡」と言うようです。人間関係には良い関係も悪い関係も様々でしょう。しかし自分との関わりにおいては、まさに鏡のように映し出されていて、自分がそう振る舞うから相手もそのように振る舞うのですね。いやいや手厳しい観察眼です。4月に新しい環境へ飛び込んだ方も多いことでしょう。そこの人たちになじめるかどうか、自分は受け入れられるだろうか、楽しく過ごせるだろうか、すべては自分次第であるということを肝に銘じたいですね。 学校長 川合 一紀 フラワームーンを眺めましょう
ゴールデンウィークが終わりました。連休中はステイホームということで、どんなことを楽しみに過ごされたでしょうか。5月6日は水瓶座流星群が極大と言うことで、夜空を眺めてみるのも、ちょっとした気分転換になりますよね。えっ!?もう終わっちゃったじゃないかって?ご安心ください、天体ショーは年中無休です。
5月26日には全国で皆既月食が見られます。全国で見られるのは3年ぶりでしょうか。皆既月食は、月か地球の影に完全に隠されて、赤黒く変色した満月が見られる天体ショーです。この赤い月のことをblood Moon(ブラッドムーン)と呼ぶのだそうです。この月の名称で言うと、有名な表現はスーパームーンでしょうか。 満月には月ごとに様々な呼び名があるそうです。昔、人々は現代のようにカレンダーを見て生活するのではなく、月の満ち欠けとともに生活してきました。アメリカの農業暦のもととなったネイティブアメリカンが使っていたと言われている満月の名前がそれです。季節の移り変わりの満月を節目にして農作業や狩猟など生活の目安にしていたようです。1月は真冬、食糧がなく飢えた狼の遠吠えにちなんだウルフムーン、2月は北アメリカの2月は雪が多いことからスノームーンなどと呼ぶようです。ちなみに5月はたくさんの花が咲くのでフラワームーンというのだとか・・・。そんなことを意識しながら夜空を眺めて、少しばかりコロナのことは忘れましょうか・・・。 学校長 川合 一紀 譲渡会
3度目の緊急事態宣言が発出され、今年の5月の連休も「どこにも行けないなあ」と嘆きの声が聞こえてきます。大型遊興施設なども軒並み臨時休業ですから、どこへ行こうにも行き先もありませんね。このコロナ禍においては、様々なイベントが中止になっていますが、実は、犬や猫の譲渡会も中止になっているのです。
譲渡会とは、動物愛護センター等が、飼い主不明で保護されたり迷子や捨てられたりした犬猫の里親を探すマッチングの会のことです。新型コロナウイルス感染症予防のためですから仕方ないのですが、例えば音楽コンサートがなくなったとかサッカーや野球が無観客になったといえば、「残念!楽しみにしていたのに・・・」となりますが、この譲渡会がなくなると、里親に引き取られなかった犬猫は殺処分されてしまうのです。犬に限って言えば、年間約3万頭もの数が命を失っています。胸が締め付けられるような思いです。 私の家には小次郎という名の6歳の犬がいます。小次郎は保護犬ではありませんが、お隣の家には小次郎より若い保護犬の「レモンちゃん」がいます。レモンちゃんがお隣の家に来たばかりの時は、警戒していて1週間ほど何も食べなかったといいます。今では小次郎の良き友達ですが、レモンちゃんがどれほどに劣悪な環境で育ったのか想像に難くありません。今や14歳以下の子供よりも数が多いとされるペット事情。コロナの影響は、人間のみならず動物たちの命までも脅かしているのです。 学校長 川合 一紀 三日三月三年
皆さんは、物事を判断したり決断したりしようとするとき、どうしても迷ってしまうことはありませんか。私はよくあります。なかなか決心がつかなくて、結果的には機を逃してしまうというようなことがありますよね。お店で「欲しいなあ」と思ったものでも、1週間程度放っておくとその気持ちが冷めてしまうこともあり、実はこうすることで本当に欲しいものかどうか判断できるのだとか・・・。1週間経って売り切れていたなんていうこともありますが、買い物程度の機を逃すことはともかくとしても、重要な決断をしなかったがために大きな失敗をしたなんていうことはしたくないですよね。
「三日三月三年」という言葉があります。物事をこのサイクルで見直すと良いということのようです。我々が三年でようやく決断するようなことは、実は三か月で見えていることであり、よくよく振り返れば三日で気づいていたことなのです。もちろん、気づいた程度の三日で決断することは難しいでしょう。それ相当の年月が過ぎて初めて「あの違和感は、やっぱりそうだったのか」と思うものです。これに似た感覚で大事にしたいのが、第一印象です。「第一印象で8割は決まる」ともいわれるほど、我々の気づきは馬鹿にならないのですね。「三日三月三年」を意識しているだけで、本当に三年経つまでには、もっと早い段階で決断できるようになるのではないでしょうか。心がけておきたいことの一つです。 学校長 川合 一紀 一所懸命と一生懸命
皆さんはどちらを使いますか。一般的には一生懸命(いっしょうけんめい)の方が多いと思われますが、語源的には一所懸命(いっしょけんめい)が基本です。
「一所懸命」(イッショケンメイ)は、中世(鎌倉時代の頃)に生まれた言葉で、武士が、土地を命懸けで守り、生活の頼みにすることを意味していました。 そこから、「土地を守る」ということだけでなく、広く「命懸けで取り組む」という意味をもつようになったようです。 一方、「一生懸命」(イッショウケンメイ)は、「いっしょ」が「いっしょう」に長音化したもので、当初は誤変換とされていましたが、今では一生かけて取り組むという意味では、むしろ身近な感じがしますよね。この使い方が定着したようです。 ちなみに池袋中学校では、「一生懸命やる姿がかっこいい!本気でやるから素晴らしい!」を掲げて取り組んでいます。ここでは「一生懸命」を使っていますね。皆が聞き慣れている表現としました。 一生懸命やる姿は、自分が思っている以上にかっこよく映り感動を呼ぶ姿勢です。しかし形だけを繕うこともできます。だから心を込める必要があるのです。それが本気でやると言うこと。本気は目に見えないので、自分の心を偽ることなく、本気でやれば自ずと一生懸命な姿に結びつくというわけです。一生懸命やる姿と本気の心はセットなのですね。 学校長 川合 一紀 令和3年度入学式入学式が行われました。 新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます! 令和3年度1学期始業式2年生3年生が登校し、落ち着いて新年度をスタートすることができました。 努力は必ず報われるさて、先日の日曜日に行われた水泳の日本選手権では、白血病から復帰した池江璃花子選手が100Mバタフライで優勝しました。今大会は無観客での実施でありましたが、私は予選からテレビで観戦していました。力強い泳ぎは、回を重ねるたびに記録が上回り最終的には優勝という結果を残したわけです。様々なメディアで復帰までのドキュメント番組もありました。池江さんは優勝インタービューで表題の言葉の「どんなにつらくても、しんどくても、努力は必ず報われるんだと思った」と語っています。別の言い方をするならば「努力はその人を裏切らない」とも言えるでしょう。やったらやった分だけ自分のものになることは間違えありません。努力は決して無駄にならない、それはスポーツに限らないのだと思います。上手くいかなかったときには「努力が足りなかった。あと一歩の努力を頑張ろう」と思える前向きな精神が、本当の努力をする人なのだと思います。特に病気や環境にも負けず取り組んだ努力は、本当に決してその人を裏切らないのでしょう。その不思議な力に感動しました。生徒の皆さんも、自分の隠れた才能を開花させるべく、様々なことにチャレンジして努力を積み重ねて欲しいですね。 学校長 川合 一紀 |
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