最新更新日:2024/12/25 | |
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避難訓練健康の定義しかし、そもそもこのWHOは1948年4月7日に、すべての人々の健康を増進し保護するため互いに他の国々と協力する目的で設立されました。大事な考え方ですよね。この中に「健康の定義」というものがあります。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」といっているのです。具体的には、 1 病気がないこと 2 おいしく飲食ができること 3 身体が丈夫なこと 4 ぐっすりと眠れること 5 不安や悩みがないこと 6 家庭円満であること 7 幸せを感じること 8 前向きに生きられること 9 生きがいを感じること 10 人間関係がうまくいくこと 11 仕事がうまくいくこと 12 他人を愛することができること 13 他人から認められること などです。これは、肉体的、精神的、社会的の3つの点で、十分調和がとれているという意味でしょう。皆さんは一つ一つの項目をご覧になって、健康だといえますか? 安倍首相も自身の健康問題で総理の座を辞任されました。お体を大切にしていただきたいと思います。う〜ん、健康って難しいんですねえ。 学校長 川合 一紀 2学期が始まりました写真は2年生始業式、昼休み校庭開放の様子です。 世の中には不思議なことがあるものです
ある登山家の話です。
山岳部の5人のパーティーが冬山を登山中に遭難し、一人が雪崩の下敷きになり命を落としました。やがて近くに山小屋があることを発見し、深夜、月明かりだけを頼りにとりあえず遺体を運び込み救助を待ちました。遺体を真ん中に寝かせ、他の4人は部屋の四隅に座ったのです。しかしこのままではみんな眠ってしまいます。火の気のない真っ暗な山小屋で眠れば凍死してしまうかもしれません。そこで、リーダーは一晩中皆が起きているゲームを考えました。 それは、4人が四隅に座っていることを利用し、まず一人が壁伝いに歩いて行き、そこに座っている次の人を手探りで探し、肩をたたき、席を交代するというもの。すると肩をたたかれた人がまた壁伝いに歩いて次の角まで行き、そこの人の肩をたたき、そこに座る・・・。 こうやって一晩中、四人は席を入れ替えながら歩いたため、寝込んでしまうことも無く翌日無事救助隊に発見され、遺体は収容され、四人も無事でした。しかしリーダーは大変なことに気づいて愕然となりました。なぜなら自分の考えたゲームは4人では絶対に成立しないからです。 皆さんもよく考えてみてください。図を書くとわかりやすいですが、 A,B,C,Dの4人が四隅に座ります。AがBへ、BはCへ、CはD、そしてDはAの場所まで行ったとき、いったい誰の肩をたたけるのか。AはすでにBの席に移動しているので、そこは空席のはずなのです。Dは言います。真っ暗な中で確かに誰かの方をたたいたと、そして、すでにBの席に移動していたAも間違いなく誰かに肩をたたかれたと。これは実話だそうですが、「夏の終わりに怖いお話を」というつもりで書いたわけではありません。信念をもって取り組んでいれば成就するということをお伝えしたかったのです。世の中には科学では証明のできない不思議なことがたくさんあります。しかし信じて突き進むから道が拓けるということもあるわけです。可能性が限りなくゼロに近くとも、やる価値はあるのですね。 まぁ、もしかしたら遺体となった友が、皆を助けるために参加したのかもしれませんが・・・。 学校長 川合 一紀 日本語って難しい
さて、今年の夏休みもあと1週間です。埼玉県のいくつかの学校では、今日(17日)が2学期の始業式というところも多いようです。連日、体温を超えるような気温に「熱中症警戒アラート」なるものが発令され、コロナウイルス感染症とのダブル対策で疲れも倍増といったところでしょうか。帰省もままならない中で、残暑見舞いを送った方々も多いことでしょう。ところで、この残暑見舞いの文末によく使われる「ご自愛ください」という言葉。お使いになられている方も多いと思いますが、「あなた自身の体を大切にしてくださいね」という意味が含まれています。だから「お体をご自愛ください」と書くと意味が重複してしまうので間違えとなりますのでご注意を。
また、よくニュースや新聞で耳にしたり目にしたりする「お詫びして訂正いたします」という言葉。これも「訂正してお詫びいたします」という方もいて、どっちが正しいのかなあと思ってしまいますよね。 そもそも「〜て、」の国語的な使い方としては、動作を順番に言うというのが一般的なので「眼鏡をかけて、本を読みます」などの使い方をします。そう考えると、まずは訂正して、それからお詫びするのがいいようにも思いますが、謝罪の場合は文章の前後の関係から文後に重きを置くこと多いようですので、お詫びが主なら「訂正してお詫びいたします」、訂正が主なら「お詫びして訂正いたします」となるようです。 日本語って難しいですねぇ。 学校長 川合 一紀 ご協力ありがとうございました。今年度は、新型コロナウイルス感染症の拡大により4月から臨時休業となり、1学期はわずか49日間の登校でした。加えて夏休みは16日間という短さで、生徒たちには厳しい夏となります。まさに世界の大きな歴史の1ページの真っ只中に生きているのです。 振り返れば、昨日6日は広島原爆の日であり、9日は長崎、そして15日には終戦を迎えたのが75年前という節目でした。様々な歴史の潮流は偶然のようにも必然のようにも見えます。スケールは小さいものの、人ひとりの歴史も毎日刻まれているのですね。 生徒にとっての自分史は、この新型コロナウイルス感染症の最中で、どのように過ごしていくかも問われています。だからこそ、今、自分にできることを着実に行えるようにしたいのです。そのために、やらないで済むこと、やるべきではないこと、やってはいけないことをしっかりと見極めれば、自ずとやるべきことが見えてくると言うわけです。マイケル・デル氏の言葉の意味を深く考えたいところです。 こんな話を終業式にいたしました。 保護者の皆様におかれましても、この1学期間様々な対応にご協力をいただき誠にありがとうございました。 2学期もどうぞよろしくお願いいたします。 学校長 川合 一紀 1学期が終わりました頭がいい人と賢い人の違い
頭が良いというとどんな人を思い浮かべますか。例えば計算が早いとか漢字をたくさん知っているなど、知識が豊富だと言う人をイメージしますね。一方で賢いというとどんな人を思い浮かべるでしょうか。みんなが思いつかないようなアイディアを出したり、たくさんの人を前にしても物怖じせずテキパキと采配したりするような人でしょうか。
分かりやすく表現すれば、知識があるのか知恵があるのかの違いでしょう。いくら知識をたくさんもっていても使い道を間違ってしまっては意味がありません。有名な大学を出た人が、反社会的な行為によって犯罪者となっている例はいくつも見受けます。たとえ知識がそれほど多くなくとも、先を見越して考えたり、人とのコミュニケーションが長けていたりすると、それに関わる知識は自ずと入ってくるものです。人間は長い人生を生きていればそれ相応の知識は身につくものです。しかし知恵はそうはいきません。知恵は自分のことだけを考えていても増えないわけです。他者との関係の中から身についていくと考えられます。 頭が良いという人はIQ(知能指数)が高い人とも言えます。賢いという人は、同じような用語を使うとEQ(心の知能指数)が高いと言うそうです。このEQは、自分のことをどれだけ的確に捉えているかと、他者との関係をどれだけ良好に営めるかで判断するのだそうです。近年では多くの研究者がこの診断方法を提示しています。一度試してみてはいかがでしょうか。 学校長 川合 一紀 |
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