最新更新日:2024/06/28
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研究発表会は有用な学びの場

本校は「特別の教科 道徳」をテーマに研究発表会を11月16日(金)に開催いたしました。200名を超える来校者の皆様には心から感謝申し上げます。発表の中でご紹介しました「e−ポートフォリオ」は、道徳授業のみならず他教科においても使える汎用性があります。ぜひ多くの方に使って頂き良いものへと改良が進むことを願っております。また、道徳の授業は幾度となく繰り返し重ねていくことに意味があります。お悩みのことがあれば共に考え、議論して参りましょう。研究発表会はひとつの通過点です。より道徳の授業の充実に努めて参ります。ご指導とご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。本校の教員は成長しました。ありがとうございました。

「おやじの会」はすごい!!

10月2日(火)に運動会が無事に終わりました。平日実施は、私がこの学校に着任して以来初めてのことです。予定では前週の土曜日開催でしたが、台風のため午前中2時間程度の実施でやむなく中断し、後半を平日に延期したわけです。実はこの折の「おやじの会」の手助けが、どれほど有り難かったか痛感したのです。前日の準備から雨中でのテントや机などの片付けは、この方達の協力無くしてはできませんでした。延期の日も、平日の早朝にもかかわらず集まっていただき、無事に実施に漕ぎ着けたわけです。私にも3人の子がおり、既に成人していますが、小学校時代に、オヤジとしてこれほどの協力ができていたかと問われれば「ノー」ですね。勿論、仕事で忙しい方もたくさんいらっしゃるし、そのことだけを協力と言ってしまうのは乱暴ですね。でも学校としては、本当に助かったと心から感謝した次第なのです。そう考えると、日頃から色々な場面で裏方と徹していただいているPTAを代表とする保護者の方、またいつも見守っていただいている地域の方には、頭が下がります。
見えないところで、子供たちを支えて下さる、学校を支えて下さる人々の有り難さを改めて感じたのでした。

道徳授業は教師も育つ

本校は、平成28年度から道徳教育に焦点をあて研究をしています。昨年度からは豊島区教育委員会研究推進校の指定を受け、今年度の11月16日(金)には研究発表会を行う運びとなりました。その内容については、是非とも当日多くの方のご参会を受け、ご指導・ご助言を賜りたいと思っております。お待ちしております。さて、子供たちの道徳性を養う上で道徳の授業は重要な意味をもちます。このことは言うまでも無く「特別の教科道徳」として教科化したことが裏付けになっています。他方で、指導する側の教師はどうでしょうか。道徳の授業の重要性を感じ取っているのでしょうか。従来では、週に1時間、時間割に載っているからやっているといった義務感があったかもしれません。しかし研究を進めていくと、授業の質がストレートに子供の変容として現れることが分かり、ひいては他教科の授業も進めやすくなるという実感がもてるようになるのです。だから道徳の授業が楽しくなっていくのですね。これが、道徳授業が道徳教育の要であると言われる所以(ゆえん)の一つではないでしょうか。私としては思わぬ副次効果と言ったところです。

大阪北部地震の教訓を生かす

6月18日(月)の早朝に発生した大阪北部地震(震度6弱)による被害は甚大です。この地震によって被害に遭われた皆様へ心からお見舞い申し上げるとともに、命を落とされた方々へのご冥福を祈り申し上げます。今回発生した地震は、社会的に大きな影響のあるものであることは言うまでもありませんが、教育関係者にとっても大変重要な要素を含んでいます。その実は、平日の早朝、つまり児童生徒の通学時間帯に発生しているということなのです。1995年に発生した阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震(震度7)から2011年に発生した東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震(震度7)までの間、震度6弱以上の地震は30回程度ありましたが、児童生徒が学校在校中に発生した地震はわずかに2回(鳥取県西部地震と東北地方太平洋沖地震)しかありませんでした。そして今回発生した地震が、正に登校中に起きた3回目の事例ということになるのです。これはどういう意味を持っているかというと、このわずか2回程度の事例からでは、学校で行われている避難訓練の有用性や非有用性が確かな検証をもたずに成されているのではないかという不安があると考えられるわけです。勿論、実際に在校時間帯で地震が起きるなどということは望むところではありませんので、想定と実際はかけ離れていることを理解し、想定の精度を上げなくてはなりません。本校では「お・う・た」(落ちてこない、動かない、倒れてこないの頭文字)を合い言葉に、自分の身は自分で守る訓練をしていますが、十分であると過信してはならないと実感しました。ご家庭でも、「天災は忘れた頃にやって来る」を今一度お考えいただき、早急なる対策を練っていただきたいと思います。

みっともないものは、みともないのだ!

私の家の近所に、大声で夫婦げんかをする家があります。聞くに堪えない言葉を大声で喚くのです。その家は、我が家から数軒先でかなりの距離にあるのですが、良く聞こえます。私の家内は、「ああ、また始まった。あんなに大きな声で怒鳴って、ご近所に聞こえて恥ずかしくないのかしら」と言います。それを聞いた私は「なるほど、今日だけの話ではないのだな。これはすぐ隣のお家は大変だろうなあ」などと人ごとです。ところで、この「恥ずかしい」という感覚は、大声を出しているから恥ずかしいとか、近所に夫婦げんかが聞こえてしまって恥ずかしいなどの意味としてです。そもそも「聞こえるように言っているのだ」とか「周りなんて気にしていない」という状態であれば、恥ずかしいという感覚すら無いのですね。これとよく似たものに、「他人を困らせる行為はみっともない」という感覚です。電車の中で大声で話をするとか、足を大きく広げて座っていて座席を占領しているなどの行為は他人に迷惑をかけています。けれども他人が困っている様子を想像できなければ、この状況がやむことはありません。「そんなの私の自由じゃん!」などと嘯きます。また、とかくこのような人は自分にイヤなことが降りかかると烈火のごとく怒ります。とても稚拙で、これを我が儘というのでしょうか。昔の人は含蓄のある言葉を残しています。
『自由と我が儘との境は、他人の妨げを成すと成さざるとの間に有り』
                                          福沢諭吉「学問のすすめ」より

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