最新更新日:2024/05/20
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不思議な言葉「あ・し・う・た」

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 週末の自粛要請を受けて皆さんはどのように過ごされましたか。幸か不幸か都心では32年ぶりとなる積雪で外出もあまりできなかったことと思います。今週には、新年度に切り替わり4月6日(月)には始業式を控える中でも、都市封鎖や感染爆発といった不安な言葉が飛び交っています。毎日、テレビをつければ「コロナの話」という具合で精神的にも参ってきてしまいますよね。そこで気持ちを楽にしたいと考える心構えとして不思議な言葉を紹介します。
「あ・し・う・た」とは、あ:ありがとう、し:幸せ、う:嬉しい、た:楽しいの頭文字。
いつも口をついて出る言葉には、ありがとう。何気ない日常の有り難みを感じて、今生きて生活できていることに幸せだなあと感じること。ちょっとしたことでも嬉しい、楽しいと感じる気持ち。この心の持ちようが人生を明るくするのだと心理学の先生がおっしゃいます。うつ病の方の治療にはよく使われる方法のようで、患者さんの中には「私は、ウツで嬉しいとか楽しいとか思えないし、人の笑顔も見たくない」という方もいるようです。そんなとき、心がこもってなくとも「ありがとう」という習慣をつけること、無理矢理にでも笑顔をつくること、何にでも幸せだなあと感じるようにすること、を繰り返していくとだんだんと心が軽くなっていくのだそうです。心と体は連携し合っています。不安な気持ちはわかりますし対策をしっかりとろうとする心構えは必要ですが、気が滅入ってしまっては体を壊します。皆さんも「あ・し・う・た」やってみませんか?

                    学校長  川合 一紀

初恋のきた道

 先週19日に無事、卒業式を行うことができました。簡略化した式の中でも、心のこもった卒業式をと考えたことは、個々それぞれの思いとともに昇華されたと思います。ご理解とご協力をいただきました保護者並びに地域の方々には心より感謝申し上げます。
 さて表題の「初恋がきた道」という映画をご覧になったことがあるでしょうか。1999年の中国映画です。小さな農村の小学校を40年以上支え続けたある教師が亡くなり、町で就職したその息子が、父の葬儀で村へ帰郷した際に回想する父と母の出会いから物語は始まります。その当時は自由恋愛が認められない中、町から赴任してきた若い教師(父)に恋心を抱き、けなげに追い続ける村娘(母)との恋愛物語なのですが、私が注目したのは、村人が学校という存在を大切にし、人々が集い、子どもたちの声が響き渡るという場面、そしてその父の葬儀に駆けつけたかつての教え子たちが、心意気だけで遺体を運び別れを悼むという場面です。教育の原点がここにはあると思うのです。当たり前が滞る今の世の中を見回して、改めて感じることは、学校の存在の大きさを痛感します。子どもたちは学校という集合体の有り難みを感じ、保護者・地域の方々は、学校が存在することそのものの意義を再確認し、教師は子どもがいて初めて教師なのだと開眼させられたのです。日常が戻っても、この気持ちは忘れないでおきたいものです。

                        学校長  川合 一紀
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明日はなぜあるの?

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 皆さんはこう聞かれたら何と答えますか。難しいですね。宇宙の摂理?地球の自転?朝日が昇るから?なんともしっくりこない回答です。実はこれは、全国こども電話相談室(TBSラジオ)に寄せられた小学3年生の質問です。この質問に、天文研究家の小林悦子さんはこう答えています。「昨日と今日は過ぎちゃったことだから、やり直しができないよね。だけど明日があったら『明日は何かやってやろう』と思うじゃないですか。そうすると、明日はあった方が良いよね。だから、何かまだできないことをするために明日というものがあるんじゃないかなあ」と。なんとも夢を感じさせる返答ですね。明日があったら何かやってやろうと思えるのは、前向きに生きている証拠です。さらに言えば、昨日上手くいかなかったことがあっても、明日は上手くやってやろうと思うことは、人生ってやり直しがきくんだとポジティブに考えられる姿勢をもっているということ。これは生きていく上でとても大切な心構えです。アニメーション作家の宮崎駿さんも「この世は生きるに値するんだと子供たちに伝えることが大人の仕事」と言っています。小林さんの回答も宮崎さんのお話も、子どもにかける言葉としてはこんな風にしていきたいですよね。先行きが不安な今の世の中だからこそ、明日を前向きに捉えて、明日を待ち遠しく思える人でありたいと思います。

                        学校長  川合 一紀

どんな風に過ごしていますか

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 新型コロナウイルスの猛威がなかなか止まりません。世界保健機構(WHO)の報告によれば、現時点で全世界の感染者は10万人を超えると言われています。また、国連の発表でも国内一律に休校を実施している国が14カ国、このことで影響を受けている生徒・学生は世界で2億9千万人以上とも言われているのです。こういった世界的規模での感染拡大状況を「パンデミック」と言うようです。こんな言葉は聞き馴染みのない方もいらっしゃるでしょう。ところが、今巷では2018年に放送されたTBSドラマ「アンナチュラル」という番組が密かに注目を集めています。なぜなら、2年前のこの番組で第1話「名前のない毒」という話の内容が、現在の状況に酷似しているからなのです。当時では聞き慣れなかった言葉「PCR法」「濃厚接触」など、今では頻繁にニュースで流されていますよね。石原さとみさん主演のドラマで、当時は何となく聞き流していた話でしたが、「予言か!」とまで言われているんだそうです。いたずらにパンデミックを誇張しようというわけではありませんが、毎日、学校へ通えず、家での過ごし方に飽きてきている子どもたちの様子を聞くと、何か面白そうな話題はないかと考えてしまいます。ちなみにご存じの方もいるでしょうが、話のポイントには、感染拡大の原因を個人にしてしまうと恐ろしいパニックが起こることを戒めていると私は思います。それにしても一刻も早く終息することを祈るばかりです。

                        学校長  川合 一紀

大人の真価が問われるとき

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 春の訪れが例年よりも早く、梅や桜の開花が2週間ほど早まっているようです。ご存じの通り、それとは別の要因ですが、子どもたちも本日3月2日から臨時休業日となり前倒しの春休みとなりました。政府の突然の発表から、学校現場や各御家庭はてんやわんやの数日間だったといえます。実は3年生は、本日都立高校の合格発表日でしたから、今まさに個別に学校へ来て今後の進路について相談しているところです。
 本区では、3月5日(木)が学年別登校日となっており、健康観察や課題を含み今後の対応について生徒たちに話をする予定です。巷の噂や報道では、この決断が正しかったのか、一斉休校が必要だったのかと非難を受けていますが、結果はこのコロナウイルスによるパンデミックが収束してみないとわからないことです。発表の経緯や具体的な諸課題に対する対応策が不十分なのは否めないにしても、総理大臣というトップは、どこかで決断をしなくてはならないのだと思います。こういう事態になった以上、悲観的に物を捉えるのではなく、前向きにより建設的に考えていく必要がありますね。規模の縮小はありますが、できる範囲で式を行い卒業生を祝ってあげたいと思いますし、修了式をきちんとやって1,2年生の進級を祝ってあげたいと考えます。お仕事のことや生活のことで困りごとはたくさんあろうかと思いますが、ご家庭でも、お子様と話し合いをもったり、将来のことを考えたりする良い機会にしてほしいと思います。教師はもちろん、周りの大人が風評に流されず、適切な判断をして子どもを守り育てていかなくてはなりません。そして何よりもご家族の皆さんが心身ともに健康な毎日を送っていただけることを心から望んでいます。皆さんの知恵で、この状況を乗り切って参りましょう。

                       学校長  川合 一紀

今やるべきことは

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 ここのところのニュースは、もっぱら新型コロナウイルス感染の問題ですが、日に日にというよりも時々刻々と状況は良くない方向へと変化しているようです。ネット社会においては、その情報が多すぎて、何が正しいのかわからなくなってしまうことさえあります。あまり風評に惑わされず「正しく怖がる」というような言葉も巷では聞かれますが、フェイクニュースも拡散され判断は難しいところですよね。そこで今一度正しい知識を確認しておきます。コロナウイルスは、ウイルス性の風邪の一種です。人に感染するものとして全部で6種類が発見されているようで、そのうちSARS(サーズ)、MERS(マーズ)という重症化傾向のある疾患を引き起こす原因ウイルスも含まれています。残りの4つは一般に風邪を引き起こす原因のウイルスだそうです。そこに変異した新型コロナウイルスが発見されたというわけです。症状としては、風邪の症状に似ているものの、咳が長引く(1週間以上)、強い倦怠感があることなど、インフルエンザでも体の節々が痛いというように、それぞれに特徴的なものがあるようです。本校においては、玄関先でアルコール消毒をしたり、手洗いうがいの励行をしたり、マスクの着用をお願いしています。また、残念なことですが、外からのお客様をお呼びしての行事や校外学習は中止の方向で考えています。何よりも大切なことは、一人一人が正しい知識と情報の元、自覚を高くもって健康管理を徹底することが求められますね。大人も含めて、十分に考えた上で不要不急の外出は控えた方がいいようです。しかし、とにかく早く収束の方向が見られることを強く期待するところです。

                       学校長  川合 一紀

客に接するは独りおるがごとく、独りおるは客に接するがごとし

 表題の言葉は、常に己を失わず、自然体で過ごすことの素晴らしさを言っています。私たちは、人と接している時、相手からの刺激に振り回され適切な判断ができないことが往々にしてあります。例えば誰かが酔った勢いでくだらないことを口にすれば、それにつられて自分も言ってしまったなんて事はないでしょうか。ですから、人と接しているような時でも、一人でいる時のように心身ともに落ち着けて振る舞いなさいと言うことのようです。逆に言えば、一人でいる時はどうしても自堕落になってしまいがちです。今日はいいかなと思って一日中パジャマ姿で顔も洗わないなんてありませんか。うちの家内は休日など「今日は誰にも会わないから化粧なんてしなくていいや」と言っています。つまりは一人でいる時には、人と接している時のように過ごしなさいと戒めているようです。
 中国に「壺中(こちゅう)の天」という故事があります。町の役人が見回っている時、ある薬売りの老人の行動を不審に思いました。その老人は時々店先の大きな壺の中に入るのです。この不思議な光景を見た役人は、老人に頼み込んで壺の中に一緒に入ってみました。するとそこは俗界を離れた桃源郷(ユートピア)だったという話です。薬売りの老人は町中の喧噪にあって、時にはゆっくり自分の世界に帰りたい、心を落ち着かせたいと思ったのでしょう。「客に接するは独りおるがごとく」です。我々も、時には公園のベンチでボーっとしたり、誰も居ない会議室やトイレで静かに目を閉じたりしてみたくなりますよね。おお、共感!共感!という方いませんか。

                    学校長   川合 一紀
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斧を使うには研ぐ時間がいる

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木こりはその日、ある年寄りの木こりが姿を見せなかったので、驚くと同時にいくぶん喜びもした。彼らはその老木こりのことが好きではあったが、当時は厳しい世の中で、老木こりがその担当分をできなかったら間違いなく仕事をクビになり、代わりに彼らがその仕事を得られるのであった。彼らは臨時収入を期待していたが、いつもどおりのペースで仕事をした。翌日、老木こりが姿を見せた。その日老木こりは、休んでいた一日分どころか、二日分の仕事を片付けた。他の木こりたちは驚嘆した。彼らはその老木こりに「なぜ昨日は出てこなかったんだい。病気じゃなかったんだろう?」と訪ねた。すると老木こりは「ああ、元気だよ。ただ斧を研ぐ時間が必要だったんでね」と答えた。
 このお話から何がいえるでしょうか。毎日一生懸命働いている木こりも、ボロボロの斧では、仕事の効率も悪く無駄なエネルギーを費やします。さらには心にも余裕がなくなり体調を崩してしまえば、仕事ができなくなり何日も休まなければならなかったでしょう。要するに人生はバランスが大事だと言うことですね。心のゆとりや効率の良い仕事をするには、時に休んででも自分を振り返り、何が大事だかを見極め、最良の選択ができるバランス感覚が重要だと言っているのですね。

                       学校長  川合 一紀

スキー移動教室を終えて

1月末に2泊3日で蓼科村へ1年生とスキー移動教室に行って参りました。生徒たちにとっても都会の喧噪から抜け出し白銀の世界で過ごした時間は、貴重なリラクゼーションタイムだったと思います。海外誌の調査ではありますが、人は一生の間に、不要なダイレクトメールを開封するのに8ヶ月、無駄な折り返しの電話をかけるのに2年、列に並ぶことに5年を費やすのだそうです。皆さんも思い当たるフシがありますか。生徒たちはゲームやテレビ・携帯電話もない3日間で、友人との会話やオーナーさんとのケーキやクッキー作り、インストラクターさんとのたわいない会話などを楽しむことが自分を取り戻す大事な時間だったに違いありません。また人の心に触れるということは、自分の心を育てることにとても有効だということも学んだと思います。楽しく有意義の時間も、自分一人で作り出せるものではありません。機械を相手に話しかけたり画面を相手につぶやいたりしてみても、反応のないことは寂しいことですよね。日常が戻ってきましたが、こういうひとときが新たな活力を生み出すのだと思います。ペンションの方々やインストラクターの方々の細かな心遣い気遣いに、感謝できる優しい子になって戻ってきました。ご家庭のご協力に感謝申し上げます。ありがとうございました。

                        学校長  川合 一紀
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努力は人を裏切らない

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私は相撲には詳しくありませんし、日頃ニュースで知るくらいで語れるものはありません。しかし昨日の大相撲初場所千秋楽はしっかりテレビで見ていました。というのも皆さんご存じの方も多いでしょうが、西前頭17枚目という幕内力士の中では最下位の位置にいた徳勝龍(とくしょうりゅう)関が、なんと優勝を手にしたからです。幕内力士というのは横綱や大関といった強いお相撲さんを含め、基本的には定員42人だそうです。その最下位に位置するのが前頭17枚目。15日間戦うわけですが、2日目に一敗した後は、あれよあれよという間に優勝までこぎ着けたわけです。もちろんその過程における努力と重圧をはねのける精神力は、並大抵ではなかったでしょうが、優勝にかける思いは人一倍強かったのでしょう。単なる偶然でこの結果が得られたはずはありません。「努力は人を裏切らない」とはトップアスリートの中でもよく聞かれる言葉です。しかし言うのは易しで、本当に努力し、やりきってしまうのも才能ではないでしょうか。徳勝龍関は優勝インタビューで「亡き恩師が一緒に戦ってくれた」と万感の思いを語っていました。思いは形になることを体現してくれましたし、もしかしたら想像もしない力が働いたのかもしれませんが、教訓にするには良い実例でした。私もコツコツ頑張ります。

                       学校長  川合 一紀

パレアナ的発想

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今朝は、交通機関の事故で出勤が遅れてしまいました。動かない電車の中で、生徒朝礼のことが気になって仕方がなかったのですが、ふっと次のような話を思い出したのです。
どんなことでも「良かったこと」に変えてしまう遊びを考案し、町中を明るくしてしまうパレアナと言う少女が登場する『少女パレアナ』。今から100年以上も前にアメリカ作家のエレナ・ポーターさんが書いたものです。例えば、「雨が降って良かった。買ったばかりの傘がさせるから」とか「道路工事で車が通行止め。歩かなければならないときに、でも工事で良かった、運動になるから」というように、前向きな考えに全部転換してしまうことをパレアナ的発想と言います。人は毎日ハプニングの連続で生きていますが、パレアナ的発想とはどんな些細なことでも、それを丸々認めた上で「だから良かった」と考えることなのです。大きな失敗をしたとき、大変なことになったと思うことも重要ですが、少し発想の転換をして「失敗して良かった。原因が分かったから。今度は上手くやれるに違いない」と考えると次の展開が変わってくると思いませんか。「神様じゃあるまいし、そんな風に考えられないよ」と聞こえてきそうですが、何でも良いほうに考えて生きることは、未来を必ず明るくしてくれるのです。電車が遅れたことぐらいで文句を言っていてはいけないのでしょうね。どうでしょう?今日からパレアナ!

                      学校長  川合 一紀

子という漢字

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私には、既に成人した三人の子どもがいます。三人とも男の子です。名前には「子」という字はついていません。主に女の子の名前に多い「子」という字。この字の成り立ちには、心がほっこりする俗説があります。「子」という字は、「一」と「了」に分けられるので、始めから終わりまで人生を全うできるようにとの意味が込められているというのです。例えば「良子」さんでしたら、良い思いや良い行いが人生において常に続くようにとの願いも込められているというわけです。最近では、「名付けランキング」で「子」のつく名前は下位の方になってしまっていますが、この話からとてもイメージが良いですよね。断っておきますが、「子」という漢字の成り立ちは、辞書によると、幼い子どもの姿を元にした象形文字に起源をもつと書かれています。しかしそんなことよりも、この俗説の方が嬉しくなるというものです。昔、テレビドラマの金八先生が「人という字は、人と人とが支え合ってできている」と言ったのを思い出しました。ちなみに人という字の起源も象形文字ですけれど・・・。自分の名前を見直して嬉しくなる話の方が良いですよね。名前に「子」の字がつく皆さん!人生には明るい未来が待っていますよ。


                     学校長  川合 一紀

幻想、夢、目標、予定の違い

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明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
今日は三学期の始業式。生徒の皆さんには、「明けましておめでとう」とはどういう意味があるのか、「明けましておめでとう」はいつまで言うことができるのか、という話をしました。そこから1年間を見据えて自分なりの夢の実現に向けて頑張ってほしいことを伝えました。
さて、皆さんは宇宙旅行に行ってみたいと思いますか。今から50年以上前の話ならば現実的ではなかったものも、今は実現可能な段階まで来ているようですね。しかし現在でも多くの人にとっては、宇宙旅行は幻想です。「いけたらいいなぁ。でも無理だよなぁ」というわけです。でもこれが北極に行きたい。南極に行きたいとなればかなり近づき、夢としての可能性もあるわけですね。更にこの実現のためにコツコツとお金を貯め計画を練っているとすれば目標となります。一方で南極観測隊の方々にとっては、明日から1年間南極に行くというのは予定です。幻想とは、何となくそんなことができたらいいなあというもの。ぼんやりとしていて現実味はありません。夢は、それよりも現実的ではっきりしていますが、実現するかというと夢で終わってしまうことの方が多いですね。目標は更に具体的です。いつまでに実現したいかはっきりしていて取り組み方も夢に対するよりも現実的です。達成するための行動ステップもしっかりしています。けれども達成できる目標もあるし、できない目標もありますね。しかし予定はそれを立てるときには、きわめて現実的です。明日、始業式があって8時30分までに学校へ行くなんていうことは、達成できるかどうか迷ったり不安になったりするようなレベルではありませんよね。この違いが分かってくると、不可能と思えることでも達成に近づけることができる様な気がしませんか。今年はひとつ、皆さんの夢の段階を一つ二つ下げて予定にしてみてはどうでしょうか。

                       学校長  川合 一紀

人生は自分で切り拓く

本日、2学期の終業式が行われました。令和2年は子年からスタートします。全ての始まりのこの子年から心機一転、取り組んでもらいたいと生徒には話をしました。
 「全ての逆境には、それに相当する、またそれ以上の益をもたらす種がある」とは、ナポレオン・ヒルの言葉です。その時には災難に思えたことが、後になってみると自分のためになっていたというような経験はありませんか。「危機」と「機会」と言う言葉には、等しく「機」という漢字が使われています。これは「危機」が「機会」と表裏一体であることを表しているように思います。我々は、何か強烈なことが起こってはじめて、安全な場所から一歩踏み出し、人生を違った視点から眺めるようになるのです。少し前の朝会で、生徒には「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の言葉を紹介しました。災害等に見舞われたとき、我々は絶望感からなかなか立ち上がれません。しかしそのままに放置せず、その経験を教訓として活かして幾度となく再起してきた歴史を見れば、前述の言葉も頷けるところです。問題なのは、危機や逆境ではなく、我々がそれにどのように対処するかに係っているのだと思います。人生は自分で切り拓いていくものなのですね。勇気が湧いてきました。
「校長の呟き」の次の更新は1月8日(始業式)です。4月からお付き合いいただき誠にありがとうございました。皆様も良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

                      学校長  川合 一紀

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無限の可能性を信じて

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 先日、区の読書感想文コンクールにおいて3年生の岸岡優果さんが最優秀賞として表彰を受けました。タイトルは「可能性を信じて」。朗読もしてくれましたが、本から得られたことを自分のものにして語る姿は立派でした。おめでとうございます。自分の可能性を信じて生きていくことはとても意味のあることです。そしてそれを好きなものにしてしまうというのも大切な方法の一つです
 好きなものに対しては、人は集中します。お母さんに怒られてもテレビゲームに没頭する子、何件もの店をはしごしてバーゲンセールで買い物をする方、ゲームソフトの発売前日に徹夜で並ぶ方々など、好きなものに集中しているわけです。ものでなくても、好きな人のことを考え出したらどんどん想像が膨らんで、止まらなくなるということだってありますね。好きになるということは、それくらいの情熱があるということ。この情熱を仕事や恋する人に十分に注げれば成功間違いなしです。「自分がこれを好きになったら、どういうことになるのだろうか」とイメージしてみましょう。すると好きになる速度が増します。それを好きになることで、その先に何が待っているのかを見極めることが出来たら、人は前進できるのです。「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、正に好きなことに一生懸命取り組み、工夫したり勉強したりしていると気づいたときには上達したり成功したりしているというわけですね。こう考えれば、自分には無限の可能性があると思いませんか。仕事も余暇も本気で好きになると良い結果が得られるものなのです。

                       学校長  川合 一紀

使わずに錆つかせるより、使って擦り減らす方が良い

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例えば、従来の包丁などは使わずに置いておくと錆びてしまいますよね。ステンレス製やセラミック製のものもありますが、使わないと切れ味が落ちるのも確かです。有名な職人さんによって作られた鋼の包丁は、定期的に研いでもらうと良いようですが、何年も繰り返していると切れ味は維持できるものの、一回りくらい小さくなっていくのだそうです。つまり研いでいくうちに擦り減っていくわけですね。そういったものは、お鍋やステンレス皿、箒やチリトリ、電球や電子機器など他にもたくさん身の回りにあります。使わず大切にとっておいて使い物にならなくなっても、使って擦り減って使い物にならなくなっても結果的には同じように映りますが、それまでの過程を考えれば、有効に活用した方が良いのは言うまでもありません。まして人の才能やセンスというものは、使って初めて意味をなすものでしょう。そして宝の持ち腐れというように才能やセンスといったものも、使わないと鈍ってきてもったいないことになります。さらには、この才能やセンスは、擦り減るどころか使えば使うほど磨かれていくのですから使わないわけにはいきません。お子様の才能やセンスは無限大です。でもどこに隠れているのか見つけにくいこともあります。本人の気づかない場合もありますから、保護者の皆様も才能やセンスの一端を見つける手助けをしてあげてください。

                      学校長  川合 一紀

抱えている問題を直視すること

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日が暮れて辺りがすっかり暗くなりました。男が地面に膝をついて街灯の下で探し物をしています。そこへ通りがかった女性が「こんなところで何をしているのですか」と訪ねると、男は「鍵をなくしたので探しているのです」と答えました。そこで女性も手伝うことにしました。1時間ほど探しても鍵は見つからず、女性はすっかり困惑して「くまなく探しましたが、どこにもありません。本当にこのあたりで鍵をなくしたのですか」と尋ねました。すると男はこう答えたのです。「いや、本当は家の中でなくしたのですが、街灯の下の方が明るくて探しやすいので、ここで探しているのです」と・・・。この話は、自分の抱えている問題を直視せず、他の人や物の中に問題の根源を探し求めているということを揶揄した寓話です。我々は、本当は問題の根源が自分の中にあることを知りながら避けているということがよくあります。でも、それを直視しないうちは何も変えられないのだということに気づかなくてはなりません。なかなか難しいことです。人のせいにしたり、モノにあたったりしても問題解決にはつながらないことを、本当はよく分かっているのですね。そこで一呼吸置いて、しっかり自分を見つめ直してみたいものです。それができる人は必ず前進し成長していける人なのだと思います。

                       学校長  川合 一紀

深く考えたいと思うこと

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小松長生さんという有名な指揮者の方がいらっしゃいます。この方の言葉にこんなものがあります。「どこの国であるかにかかわらず、一流と呼ばれているオーケストラはもれなく、どんなに自由奔放に演奏をするソリストが来ても柔軟に受け入れ、ソリストの力が最大限に発揮される場を創りあげます。またそれによって自分たち自身もインスパイアされ、見事なまでの集合意識と化し、結果として自分たちも予想だにしなかった高見を眺望するのです。」
いかがですか。どのようにこの言葉を受け留められるでしょうか。本当に力のある組織とは、たとえどんな異分子が入ってきても、互いに高め合う術をもっているというわけです。言うのは簡単ですが並大抵のことではありません。この背景には、オーケストラで言えば、極限に近い優れた演奏技術と誇り高い自信があるからではないでしょうか。そしてもう一つ欠かせないのは、「良い演奏を創る」という貪欲な姿勢ではないかと思うのです。学校を経営する上でも学ぶところが多くあります。私も深く考え、努力していこうと思います。

                        学校長  川合 一紀

良い思いは成功につながる

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皆さん今まで、気分のもち方で、成功にも失敗にもつながった経験というものはありますか。不思議なことに、成功に意識を向ければ成功します。逆に失敗に意識を向ければ失敗します。「本当かな?」と思うかもしれませんが、一つの例をあげましょう。体育館の床に長さ5mで10cm四方の角材を置いたとします。イメージしてください。この上を歩いてみましょうと言ったらどうですか。おそらく慎重にはなりますが多くの人はできるでしょう。今度はこの角材を、地上10階建てのビルとビルの間に渡して歩いてみます。イメージしてください。ちょっと怖いですよね。うまくわたり切れる人は、どれほどいるでしょうか。つまり体育館の床にある時は、渡れる自信と「渡る」という意識に集中できるからです。一方でビルの間だと、「落ちるんじゃないか」に意識がいくので、落ちる確率が高くなるのです。極端な例を挙げましたが、スポーツ選手が行っているイメージトレーニングもこれと同じです。我々も生活の中で、「ダメなんじゃないか」「うまくいかないんじゃないか」ではなくて、常にポジティブに「できる」「必ず成功する」と思って生活したいですね。ネガティブな気持ちが頭に浮かんだら、すぐさま打ち消して「いや、絶対に大丈夫!」と考え直しましょう。勿論、その背景には努力も必要なんですけどね・・・。

                      学校長  川合 一紀

本当に幸せな人とは・・・

誰もがみんな幸せになりたいと思っていますよね。けれども度が過ぎてしまうと、わがままになったり意地悪をしたりと自己中心的な考えに固執しがちです。でも人間の育ちを振り返ると、仕方がない一面もあるのです。人は生まれてからの数年間、親や年長者という周りの人に「してもらうこと」ばかりの状態で過ごします。その結果、自立しても「社会からしてもらうこと」を先に考え、義務の遂行よりも権利の主張をしてしまうのです。しかしこういう姿勢では、いつまでたっても人として一人前にはなれません。イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルは「人間は手に入れるもので生計を立て、与えるものによって人生を作る」と言っています。言い方を換えれば、自分が社会からどんな恩恵を受けるかよりも、自分が社会に対してどれほどの恩を返せるかで人生の幸せが決まるのだと言っているようです。アフリカで医療と伝道に身を捧げたアルベルト・シュバイツァーは「本当に幸せな人とは、奉仕する方法を探し求め、ついにそれを見つけた人のことである」との言葉を残しています。奉仕活動とかボランティア活動というものは、自分の心を磨き、人に恩を返せる喜びを実感できるものなのでしょうか。
う〜ん、難しいですね。

                       学校長  川合 一紀
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