最新更新日:2024/05/20
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人生は自分で切り拓く

本日、2学期の終業式が行われました。令和2年は子年からスタートします。全ての始まりのこの子年から心機一転、取り組んでもらいたいと生徒には話をしました。
 「全ての逆境には、それに相当する、またそれ以上の益をもたらす種がある」とは、ナポレオン・ヒルの言葉です。その時には災難に思えたことが、後になってみると自分のためになっていたというような経験はありませんか。「危機」と「機会」と言う言葉には、等しく「機」という漢字が使われています。これは「危機」が「機会」と表裏一体であることを表しているように思います。我々は、何か強烈なことが起こってはじめて、安全な場所から一歩踏み出し、人生を違った視点から眺めるようになるのです。少し前の朝会で、生徒には「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の言葉を紹介しました。災害等に見舞われたとき、我々は絶望感からなかなか立ち上がれません。しかしそのままに放置せず、その経験を教訓として活かして幾度となく再起してきた歴史を見れば、前述の言葉も頷けるところです。問題なのは、危機や逆境ではなく、我々がそれにどのように対処するかに係っているのだと思います。人生は自分で切り拓いていくものなのですね。勇気が湧いてきました。
「校長の呟き」の次の更新は1月8日(始業式)です。4月からお付き合いいただき誠にありがとうございました。皆様も良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

                      学校長  川合 一紀

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12月19日(木)

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・ご飯
・肉豆腐
・ツナサラダ
・みかん
・牛乳

無限の可能性を信じて

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 先日、区の読書感想文コンクールにおいて3年生の岸岡優果さんが最優秀賞として表彰を受けました。タイトルは「可能性を信じて」。朗読もしてくれましたが、本から得られたことを自分のものにして語る姿は立派でした。おめでとうございます。自分の可能性を信じて生きていくことはとても意味のあることです。そしてそれを好きなものにしてしまうというのも大切な方法の一つです
 好きなものに対しては、人は集中します。お母さんに怒られてもテレビゲームに没頭する子、何件もの店をはしごしてバーゲンセールで買い物をする方、ゲームソフトの発売前日に徹夜で並ぶ方々など、好きなものに集中しているわけです。ものでなくても、好きな人のことを考え出したらどんどん想像が膨らんで、止まらなくなるということだってありますね。好きになるということは、それくらいの情熱があるということ。この情熱を仕事や恋する人に十分に注げれば成功間違いなしです。「自分がこれを好きになったら、どういうことになるのだろうか」とイメージしてみましょう。すると好きになる速度が増します。それを好きになることで、その先に何が待っているのかを見極めることが出来たら、人は前進できるのです。「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、正に好きなことに一生懸命取り組み、工夫したり勉強したりしていると気づいたときには上達したり成功したりしているというわけですね。こう考えれば、自分には無限の可能性があると思いませんか。仕事も余暇も本気で好きになると良い結果が得られるものなのです。

                       学校長  川合 一紀

使わずに錆つかせるより、使って擦り減らす方が良い

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例えば、従来の包丁などは使わずに置いておくと錆びてしまいますよね。ステンレス製やセラミック製のものもありますが、使わないと切れ味が落ちるのも確かです。有名な職人さんによって作られた鋼の包丁は、定期的に研いでもらうと良いようですが、何年も繰り返していると切れ味は維持できるものの、一回りくらい小さくなっていくのだそうです。つまり研いでいくうちに擦り減っていくわけですね。そういったものは、お鍋やステンレス皿、箒やチリトリ、電球や電子機器など他にもたくさん身の回りにあります。使わず大切にとっておいて使い物にならなくなっても、使って擦り減って使い物にならなくなっても結果的には同じように映りますが、それまでの過程を考えれば、有効に活用した方が良いのは言うまでもありません。まして人の才能やセンスというものは、使って初めて意味をなすものでしょう。そして宝の持ち腐れというように才能やセンスといったものも、使わないと鈍ってきてもったいないことになります。さらには、この才能やセンスは、擦り減るどころか使えば使うほど磨かれていくのですから使わないわけにはいきません。お子様の才能やセンスは無限大です。でもどこに隠れているのか見つけにくいこともあります。本人の気づかない場合もありますから、保護者の皆様も才能やセンスの一端を見つける手助けをしてあげてください。

                      学校長  川合 一紀

抱えている問題を直視すること

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日が暮れて辺りがすっかり暗くなりました。男が地面に膝をついて街灯の下で探し物をしています。そこへ通りがかった女性が「こんなところで何をしているのですか」と訪ねると、男は「鍵をなくしたので探しているのです」と答えました。そこで女性も手伝うことにしました。1時間ほど探しても鍵は見つからず、女性はすっかり困惑して「くまなく探しましたが、どこにもありません。本当にこのあたりで鍵をなくしたのですか」と尋ねました。すると男はこう答えたのです。「いや、本当は家の中でなくしたのですが、街灯の下の方が明るくて探しやすいので、ここで探しているのです」と・・・。この話は、自分の抱えている問題を直視せず、他の人や物の中に問題の根源を探し求めているということを揶揄した寓話です。我々は、本当は問題の根源が自分の中にあることを知りながら避けているということがよくあります。でも、それを直視しないうちは何も変えられないのだということに気づかなくてはなりません。なかなか難しいことです。人のせいにしたり、モノにあたったりしても問題解決にはつながらないことを、本当はよく分かっているのですね。そこで一呼吸置いて、しっかり自分を見つめ直してみたいものです。それができる人は必ず前進し成長していける人なのだと思います。

                       学校長  川合 一紀

第二回オリパラ教育

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11月27日(水)
第二回オリパラ教育が行われました。
IOCヤングリーダーのリクシュナ・グエデス・メメさんと
パナソニックワイルドナイツ所属、ラグビー元日本代表の谷田部洸太郎から講演をいただきました。

深く考えたいと思うこと

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小松長生さんという有名な指揮者の方がいらっしゃいます。この方の言葉にこんなものがあります。「どこの国であるかにかかわらず、一流と呼ばれているオーケストラはもれなく、どんなに自由奔放に演奏をするソリストが来ても柔軟に受け入れ、ソリストの力が最大限に発揮される場を創りあげます。またそれによって自分たち自身もインスパイアされ、見事なまでの集合意識と化し、結果として自分たちも予想だにしなかった高見を眺望するのです。」
いかがですか。どのようにこの言葉を受け留められるでしょうか。本当に力のある組織とは、たとえどんな異分子が入ってきても、互いに高め合う術をもっているというわけです。言うのは簡単ですが並大抵のことではありません。この背景には、オーケストラで言えば、極限に近い優れた演奏技術と誇り高い自信があるからではないでしょうか。そしてもう一つ欠かせないのは、「良い演奏を創る」という貪欲な姿勢ではないかと思うのです。学校を経営する上でも学ぶところが多くあります。私も深く考え、努力していこうと思います。

                        学校長  川合 一紀

良い思いは成功につながる

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皆さん今まで、気分のもち方で、成功にも失敗にもつながった経験というものはありますか。不思議なことに、成功に意識を向ければ成功します。逆に失敗に意識を向ければ失敗します。「本当かな?」と思うかもしれませんが、一つの例をあげましょう。体育館の床に長さ5mで10cm四方の角材を置いたとします。イメージしてください。この上を歩いてみましょうと言ったらどうですか。おそらく慎重にはなりますが多くの人はできるでしょう。今度はこの角材を、地上10階建てのビルとビルの間に渡して歩いてみます。イメージしてください。ちょっと怖いですよね。うまくわたり切れる人は、どれほどいるでしょうか。つまり体育館の床にある時は、渡れる自信と「渡る」という意識に集中できるからです。一方でビルの間だと、「落ちるんじゃないか」に意識がいくので、落ちる確率が高くなるのです。極端な例を挙げましたが、スポーツ選手が行っているイメージトレーニングもこれと同じです。我々も生活の中で、「ダメなんじゃないか」「うまくいかないんじゃないか」ではなくて、常にポジティブに「できる」「必ず成功する」と思って生活したいですね。ネガティブな気持ちが頭に浮かんだら、すぐさま打ち消して「いや、絶対に大丈夫!」と考え直しましょう。勿論、その背景には努力も必要なんですけどね・・・。

                      学校長  川合 一紀

本当に幸せな人とは・・・

誰もがみんな幸せになりたいと思っていますよね。けれども度が過ぎてしまうと、わがままになったり意地悪をしたりと自己中心的な考えに固執しがちです。でも人間の育ちを振り返ると、仕方がない一面もあるのです。人は生まれてからの数年間、親や年長者という周りの人に「してもらうこと」ばかりの状態で過ごします。その結果、自立しても「社会からしてもらうこと」を先に考え、義務の遂行よりも権利の主張をしてしまうのです。しかしこういう姿勢では、いつまでたっても人として一人前にはなれません。イギリスの政治家ウィンストン・チャーチルは「人間は手に入れるもので生計を立て、与えるものによって人生を作る」と言っています。言い方を換えれば、自分が社会からどんな恩恵を受けるかよりも、自分が社会に対してどれほどの恩を返せるかで人生の幸せが決まるのだと言っているようです。アフリカで医療と伝道に身を捧げたアルベルト・シュバイツァーは「本当に幸せな人とは、奉仕する方法を探し求め、ついにそれを見つけた人のことである」との言葉を残しています。奉仕活動とかボランティア活動というものは、自分の心を磨き、人に恩を返せる喜びを実感できるものなのでしょうか。
う〜ん、難しいですね。

                       学校長  川合 一紀
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令和元年度 学習発表会

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11月1日(金)、2日(土)
令和元年度学習発表会が行われました。
1日(金)に展示の見学、2日(土)に舞台発表が行われました。

心をこめると感動する

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先週の土曜日に学習発表会がありました。その時にお話ししたことです。
心をこめるとはどういうことでしょうか。漢字で書くと「込める」と書きますが、心のこもったと言うときには「籠もる」と書くようです。つまり、心の中に思いをいっぱい詰め込んで閉じこめると言うことになりますね。パンパンに詰め込んで、パカッと開けると飛び出してきそうな感じが伝わりますか。これを他人から見ると、驚きだったり、感心だったり、あるいは衝撃だったりして心動かされますね。自分から見たらどうでしょう。どうすれば思いを詰め込むことができるのでしょうか。そこには「自分を見つめる」ことが重要な気がします。自分との対話で「今この瞬間に、自分はこれでいいのか」「他人との比較ではなく、自分として納得できるのか」こんなことを考えると、自然と気分が高まってきます。思いが膨らんできたら、言葉や歌にして表現したいですね。一生懸命やる姿はかっこよく、本気でやる姿勢は好感がもてます。そこに「今の自分を振り返り」思いをいっぱいに詰め込んで、一気にふたを取って開け放ってみましょう。
目に見えない心というものには、思いを籠めると感動が伝わっていくんですね。


                       学校長  川合 一紀

本は身銭を切って買うべし

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私は通勤時間が長く、その過ごし方として電車の中では概ね本を読んでいます。毎週、地元の図書館へ足を運び6冊以上借ります。ジャンルにはあまりとらわれず、ライトノベルから哲学書など幅広く読むのですが、よく分からない内容のものは途中でやめてしまうこともあります。しかし中には「もう一度読みたい」と思うような本もあります。こういう本は古本屋さんへ行って購入するようにしています。タイトルの『本は買うべし』というのは、本屋さんへ行って毎回新刊を購入せよと言っているわけではありません。手当たり次第に買っていたらお小遣いがなくなってしまうし、先にも述べたように、内容がよく分からなかったり興味のもてなかったりした本に出会えば、お金がもったいなかったとがっかりすることもあるでしょう。そのためにも図書館は便利です。自分にあった図書に出会うまでワクワクします。でもそこからなのです。もし「もう一度読みたい」本に出会ったら、自分でお金を出して買うことをお薦めします。なぜなら、後に読み返してみると、当時とは違った受け留め方ができたり、「なぜこの本をいいと思ったのだろうか」と反省・回想したりできるからです。それはすなわち自分の成長を実感できるということなのです。今はインターネット上で「中古本」という体裁のいい物もありますから、何千円という本も数百円で買える、そんな喜びも味わえます。お子様に薦めていただければありがたいことです。


                       学校長  川合 一紀

負けても、なお得るものがある!

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皆さんは「ハルウララ」という競走馬をご存じでしょうか。1998年に高知競馬場でデビューし2006年に引退するまで113連敗し続けた馬の名前です。2003年に「負け続ける馬」として一躍有名になったのですが、その時点で既に87連敗であったとか。その後もコンスタントに負け続け一度も優勝することなく引退したというわけです。しかしこの負け続けてもひたむきに走り続ける姿勢に心打たれる人が多く根強いファンがいるのだそうです。「ハルウララ」の馬券は、「走っても当たらない」「ダメな結果でもクビにならない」・・・というわけで、交通事故やリストラの「お守り」になっていたとも言われます。そもそもハルウララは、幼少期から小柄で臆病な馬であり、型にはまることを嫌う「世話の焼ける馬」だったそうです。ですから馬主や世話をする人も転々と変わり波瀾万丈の生き方をしていたそうですが、それでも決して休むことなく走り続けたと言います。「継続は力なり」を文字通り実践した馬ですね。競走馬ですから勝つことが至上命令です。しかし勝たなくても生きる道があった、振り返れば豊かな人生(馬生?)であったのではないでしょうか。負けても、なお得るものがある!ラグビーワールドカップでも印象づけられた言葉です。とても参考になる生き方ですね。


                     学校長   川合 一紀
                  

オリパラ講演会

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10月16日(水)
オリンピック・パラリンピック教育としてオリンピアンの講演会が開かれました。
カンボジア代表のマラソン選手、猫ひろしさんに来校いただき、お話していただきました。

お見舞い申し上げます

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この三連休を襲った台風19号の被害は甚大です。関東地方のみならず、多くの地域で河川の氾濫や浸水、暴風による家屋の損壊が報告されています。被害に遭われた方々には心よりお見舞いを申し上げます。私の住んでいる坂戸市近辺でも河川の氾濫があり、避難勧告が出され一時混乱を来しましたが、大きな被害を受けることはありませんでした。天気は回復したものの、地盤が緩んでいたり、未だに河の水が引かなかったりしています。テレビのニュースでインタビューを受けている方々の話は、一様に「こんなことは今まで一度もなかった」です。「想定外」から「想定内」にという話は、阪神淡路大震災以来、頻繁に言われていますが、我々の意識がなかなか変わらないのも事実です。正直に言うと、私も夜、暴風雨の中避難勧告が出され本当に避難するかどうか迷いました。結局避難しなかったのです。何事もなく済んだのが幸いでした。でも、後になってニュースで被害状況を見るにつけ、胸が高鳴ります。今後に十分に活かさなければと心に誓うのです。


                       学校長  川合 一紀

3年生つながり給食

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10月7日(月)
3年生のつながり給食がつながりホールでありました。

10月5日(土)防災体験活動

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10月5日(土)
としま土曜公開授業で防災体験を行いました。
1年生は防災カードゲームおよびAEDを用いた救急救命講習
2年生はブラインドウォーク、車いす体験および消防署の方を招いたD級ポンプの放水体験等
3年生はかまどベンチの設営、備蓄倉庫の荷物の搬出、避難所の設営等を行いました。

許すということ

毎日生活していると、良いことばかりではありません。理不尽なことや腹の立つこともあるでしょう。「許せない」という感情が頭をもたげるというわけです。例えば、いつも仲良く話をしている仲間がいるとします。この人とは気の置けない関係であり何でも話せる間柄です。しかし一つだけ許せないところがあるのです。それは言葉遣いが悪いところなのです。話が盛り上がってくると決まって言葉遣いが悪くなります。私はどうしてもそこが許せないのです。どうですか?こんな経験はありませんか。ところでこの「許せない」という感情はどうして沸き上がってくるのでしょうか。それは自分が「許せない」と思った他人の性格や出来事というものを、自分自身も大なり小なりもっている部分だからです。「あの人の失礼なところが許せない」と思うなら、自分にも同じような失礼な部分があるということなのです。ただ自分はそれに気づいてはいるものの、自分なりに失礼のないように気を遣っているが、あの人は気を遣っていないじゃないか、と思うから腹が立つのです。出来事にしても同じです。ということは、「許せない」と何かについて思うことは、それに反応する部分をもつ自分も許せないと言うことになります。「許す」という言葉の語源は「緩ます」だと言います。いかがでしょうか。大きな心で他人を認め緩ませてあげることをしてみましょう。詰まるところ、他人を許すことは自分を許すことに通じるのですね。

                    学校長  川合 一紀
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優れたものに出会ったら

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身の回りには技術の進化によって便利なものがたくさん溢れています。パソコンや携帯電話・電子機器なども、日進月歩であり、半年前のものが既に古くなっていることもしばしばです。人によっては、次から次へと買い換えるなんて方もいるようですね。でも本当にそれでいいのでしょうか。もちろん新しいものは見栄えも良いし、使い勝手も良くなっていることでしょう。しかし使うのは人ですから、人がその活用を適切に理解して、人道的にも社会的にも有効活用をして初めて生きてくるのではないでしょうか。モノにたとえましたが、優れた人物に出会ったときも同じだと思います。その方の才能に触れて凄いと思ったら、その方の人間性に触れて素晴らしいと思ったら、その方の経験に触れてうらやましいと思ったら、次は、それはどこから発せられるものなのか、発せられているものの本質は何なのか、何を伝えたいと思っているのかを理解する心をもちたいものです。そこを理解できたとき、その方に一歩近づけた喜びを味わえるのだと思います。

                        学校長  川合 一紀

原点に返ること

我々は、毎日いろいろな出来事に出会い、時にはそれに振り回され、進むべき道を見誤りそうになるものですね。こんな時、原点に返り物事を考えてみることが重要と言われます。そもそも自分のよりどころは何であったのか、何がしたかったのかなど原点に返って考えるのです。女優の夏目雅子さんをご存じでしょうか。1978年に放送された西遊記で三蔵法師役を務め、一躍有名になったとてもきれいな女優さんです。ある雑誌で夏目さんのエピソードが紹介されています。夏目さんが映画俳優になって売れ始めた頃、鎌倉の実家から都内まで電車で通っていたそうですが、仕事で遅くなると会社がタクシーを出してくれたそうです。将来ある売れっ子の女優ですし、電車で帰らせるわけにはいきません。夜遅く疲れ切って夏目さんがタクシーで帰宅すると、お母さんが「どうしてタクシーなんかで帰ってくるの。電車で帰ってきなさい。何様でもあるまいし」と叱ったそうです。また、忙しい朝、夏目さんが朝食後のお茶碗やお皿をそのままにして「ごちそうさま、行ってきます」と慌てて飛びだそうとすると、お母さんは「自分で食べたものは自分で片付けてから行きなさい。何様でもあるまいし」と叱ったのだそうです。「何様でもあるまいし」とは「のぼせるな」という言葉に通じます。女優になっていくら売れたとしても、原点である「人間としてどう生きるか」ということを忘れてはだめですよと、常に夏目さんを戒めていたのですね。考えさせられるエピソードですよね。

                     学校長  川合 一紀
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