最新更新日:2024/05/31
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これからの時代を生き抜くには

アメリカの心理学者ハリー・ハーロウ氏の興味深い実験があります。布でできた代理母と針金でできた代理母を用意して猿の赤ちゃんを育てたというものです。布でできた代理母は暖めてあり温もりがありますがミルクを飲むことはできません。一方針金でできた代理母は温もりはありませんが哺乳瓶が取り付けてあります。すると赤ちゃん猿はお腹がすいたときだけ針金代理母からミルクを飲み、すぐに布製の代理母に寄り抱きつきます。その姿はとても不安そうです。そして布製の代理母を取り除くと、泣き叫び、決して針金代理母に近づこうとはしません。この結果から、たとえ布製の代理母であっても、温もりを感じる存在と触れあうことで一定の心理的安定感を得て、外界に向かう探究心や好奇心が芽生えるというのです。これは人間の子どもにも必要不可欠な条件であると言われています。ハーロウ氏の実験は、子どもには母親の温もりが重要だと言っているように感じますが、当のハーロウ氏はそうは言っていないのです。ハーロウ氏は、これらの実験結果を踏まえ、「母性なんて必要ない」というとんでもない発表をします。布でも何でも温かい接触さえあれば、子どもは育つので母親はいなくても良いという論理です。しかしこの後、赤ちゃん猿は残念ながら正常に育たなかったという結果がでました。代理母で育った猿は、恐怖感が異常に強く攻撃的で異常行動を取るようになってしまいます。社会性も育たないために集団にも馴染めず、いじめられ最終的には集団を追い出されてしまう。大人になっても子育てもできずに自分の指を噛んだり腕を噛んだりの自傷行動もあるようです。結局、ハーロウ氏の発表した「母性なんて不要」と言う結論は事実に反しており、単に温もりがあるだけの代理母では、対象性と社会性を欠如してしまうことが明らかになりました。
この結果を皆さんはどう受け止めますか。勿論単純に人間の子どもにそっくり当てはめられるとは言いません。しかし今の世の中の風潮を見ていると、あながち的外れとは言い難いところもあると思いませんか。衣食住は事足りていても、肌の温もりがない関係では情緒や感情が育たないのですね。そしてその情緒や感情こそが、人間の尊厳のひとつであり、人工知能の時代を迎えうつ、人間としての生き残る術ではないのでしょうか。

信用と信頼

「信用」と「信頼」という言葉は、同じような意味合いでよく使われますが、意味の違いについて考えたことがありますでしょうか。使い方としては「彼は嘘を言わない人なので、信用できる」とか「どの子どもにも等しく優しい彼女を、私は信頼している」というように表現します。この信用という言葉は、今までの事柄を根拠に過去の実績を評価する言葉です。一方で信頼という言葉は、いくつかの根拠はあるが、それよりも未来のその人へ期待する言葉として区別します。ですから、「嘘をつかないという過去の実績から、彼は信用できるものの、将来も嘘をつかないとは言い切れないから信頼はできない」という関係性が成り立ちます。先の事例でいえば「どの子どもにも優しい彼女を見ていると、これからもその優しさを持ち続けてくれるだろうと期待するから、信頼しているのだ」となるでしょう。我々は、子どもを育てる義務のある大人です。子どもは正直なので時に残酷です。しかし過去にどれほど子どもから裏切られても、その子どもの明るい将来を見つめて信頼してこそ、大人の役目が果たせるのだと思います。そのためには、大人は自分の人生に誇りをもち、子どもの将来に責任のもてる言動をすることで真の大人になるのであり、それこそ子どもから信頼される親の姿になるのだろうと、つくづく思うのです。皆さんはいかが思われますか?

「ありがとう」を噛み締める

今年は、4年に1度巡ってくるオリンピック・パラリンピックの年でした。ブラジルのリオデジャネイロで開催され、日本とは12時間の時差があるようです。眠い目をこすりながらテレビで観戦した方も多かったと思います。一方8月は、甲子園で行われる高校野球の時期でもありました。地元愛を沸き起こしてくれる熱戦が繰り広げられていました。どうして、これほどまでに感動することができるのでしょうか。それはひとえに、一生懸命に真剣に取り組む姿があるからだと思います。そして選手たちの試合後の話を聞くと、皆が口をそろえて「支えてくださった方々に感謝します。ありがとうございます」とコメントします。また応援していた人たちの話を聞けば「感動をありがとう」と言っています。こういう場面を見て、再び涙するのは私だけではないでしょうね。この「ありがとう」と言う言葉は、漢字で書くと「有り難う」です。有り難い(ありがたい)とは「めったにないこと」「有ることが珍しいこと」と言う意味です。4年に1度のオリンピックは、いくら実力があっても出られるとは限りません。高校3年間で必ず甲子園に行けるとも限りません。「めったにないこと」「出場できることが珍しいこと」だからこそ、そこに感謝が生まれるのでしょうし、見ている人たちは心揺さぶられるのでしょう。こういった素直な感情をもつことは、日々の生活ができることに有り難みを感じたり、生きていることに感謝したりすることを改めて考えさせてくれる良い機会です。だからこそ子供たちには、そういった感動をたくさん味わわせてあげたいものです。9月7日からはパラリンピックが始まります。心が感動を渇望しています。

熱心な教育の向かう先は・・・

私が毎日乗る朝の電車に、いつも決まって同乗する親子がいます。中学生になったばかりの息子さんが座席に着くなり、母親は息子の鞄から教科書を引っ張り出します。そして教科書に載っている英会話のやりとりをそこで実演し始めるのです。息子さんは嫌がりもせず大きな声で英語の会話文を読みます。母親はさらに登場人物になりきって会話を始めます。今日は英語のスピーチテストがあるようです。またある日には、国語の物語文を母親が朗々と読み始めます。そして逐一解釈を入れます。息子さんはノートに必死で書き留めます。そこで母親は仕事の都合で決まって途中下車をします。その直後、息子さんは大いびきをかいて眠りに着くのです。「中学校について行けるか」「勉強で遅れは取っていないか」教育熱心な母親の気持ちはよくわかります。しかし電車の中という公共の場をどのように捉えているでしょうか。また母親がいなくなったとたんに眠りにつく息子さんのことをどれほど知っているのでしょうか。子供の健全な成長に最も大切なこととは何でしょうか。自宅に帰ってもなお、夜遅くまで親子の学習は続くのでしょう。これから中学生上位学年へと成長していく息子さんを、私も見守っていきたいと思います。続報にご期待ください。

本校の校歌にはこんな秘話がありました

去る3月26日にダークダックスという男性4人のボーカルグループの
お一人喜早哲(きそうてつ)さんがお亡くなりになりました。実は本校
の校歌は、このダークダックスさんが作ってくださったのです。
平成11年度開校当時の池田類子校長先生とPTA会長の和田健男さん
が、地域にお住まいの喜早さんにご依頼申し上げたところ、快く引き受
けてくださったという経緯があります。
この校歌は、いつも子供たちの元気な歌声によって、ずっと歌い継がれ
てきました。
先日、喜早さんのお宅に伺い、御霊前にお花を手向けて参りました。
その際にご家族から「これからも校歌を大切に歌い継ぎ、またダーク
ダックスというグループがいたことを忘れずにいてくだされば幸いです」
とのお話がありました。
ダークダックスは1951年に、慶応大学男声合唱団のメンバーで結成
され、その後「ともしび」と言う曲で一躍スターダムになり、歌謡界に
コーラスブームを巻き起こしました。テレビに出ない日はないくらいの
有名人であり、NHK紅白歌合戦には合計15回も出場されている大ス
ターでした。しかし、そのことを知る人々は、年々減っている次第です。
これからも校歌を愛する上で、ダークダックスさんの他の曲も紹介して
行ければ良いなと感じています。
喜早哲さんのご冥福をお祈りいたします。

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