最新更新日:2024/06/13
本日:count up2
昨日:79
総数:395762

偏差値に一喜一憂しないこと

 皆さんはバスをよく使いますか。日本ですと、電車に比べるとバスは、道路渋滞に影響されて到着時刻はあまり正確ではありませんよね。ところで皆さん!例えば、こんなバスがあったらどちらを使いますか。
『毎日2分前後のずれがあるバスAと毎日10分前後ずれのあるバスB』
 時刻表には到着時刻7時00分と書いてあります。バスAは6時58分から7時2分の間にやってきます。しかし、バスBは6時50分から7時10分の間にやってくるのです。どちらも平均すると7時00分に到着します。おそらく多くの方はバスAがいいと思いますよね。だって、7時ちょっと前にバス停に着いてもすでにバスBは行ってしまっているかもしれませんよね。でも毎日寝坊しがちな方は、バスBの方が融通が利くからいいと思われるかも・・・。このブレ幅のことを数学用語では「標準偏差」といいます。標準的な数値から偏った差というわけです。似た言葉に偏差値というのもありますね。受験生にとっては切実な数値です。この偏差値とは、平均点に偏差値50を割り当てて、標準偏差を10点に換算して差し引きした数字のことです。ですから偏差値60というのは標準偏差1個分平均点より上にいるということです。先ほどのバスBみたいにブレ幅が上に10です。バスの時刻は単に早い遅いの違いですが、偏差値は成績の良い悪いがまさに受験生にとって切実なわけです。ただ大事なのは、1回のテストで出る偏差値よりも数回受けたテストの標準偏差を知る方が受験戦略としては重要なのですよ。例えば偏差値50のA君とB君。しかしA君は標準偏差2、B君は標準偏差10でした。ということは、A君は安定して成績が取れるが、B君はばらつきが大きい。しかしB君は本番では偏差値60の学校に受かるかもしれない可能性を秘めている、というわけです。
 もちろん自分の人生を一か八かに賭けるという意味ではなく、標準偏差を小さくする方がいいと思いませんか。そして何よりも、点数だけでなく人間性を磨くことで勝負したいものですね。

                      学校長  川合 一紀

画像1 画像1 画像2 画像2

過去の扉をしっかり閉める

 人は、心の持ちようによって、幸せにも不幸せにも感じられると思いませんか。例えば雨が降ってしまってせっかくの運動会練習が出来なくなってしまった。これは小さな不幸かもしれません。しかし人によっては、体調が悪いので今日雨が降って運動会練習がないのは良かった、と思う人もいます。その人にとっては小さな幸運でしょうか。人それぞれに幸せや不幸せの受け留めは様々であり、それはその人がどのような気持ちで受け留めるかにかかっています。その気持ちを作っているのがこれまで生きてきた過去から現在までの軌跡に他なりません。
 人は、前に進むために、過去の扉を一つ一つ閉めながら、未来の扉に手をかけます。そしてとかく人は、一度に二つのことが出来にくいので、過去に目が行くとき、未来には背中を向けていることが多いのです。過去の扉が開いていると、つい懐かしくてそちらを見てしまいます。でもしっかり過去の扉を閉めて前を向き未来の扉に向かわなくては前進しません。前向きに生きるとは、どんな過去であっても、過去の扉に背を向けることではないでしょうか。
 今言ったように、人は、過去によって創られてきたわけです。閉じようにも閉じられない過去もあるでしょう。だからどうしても閉じられない過去があるなら、それを正面に据えてみてはどうでしょう。未来の扉が開かなくなったとき、過去の扉を後ろに据えるのではなく、前の方に、未来の方に置いてみれば、そこから未来が見えてくることもあるのではないでしょうか。


                      学校長  川合 一紀

画像1 画像1

本当の読書好きに

画像1 画像1
 このほど、国立青少年教育振興機構の調査結果から、小学生から高校生までの間に読書量が多かった人は、大人になった時に、「物事に進んで取り組む意欲」(主体的行動力)や「一時的な記憶力」(認知機能)などが高い傾向にあると報告されました。この読書による効果については、これまでも幾度かお話してきましたが、今回興味深いのは、この読書量の多い人は普段からどんな生活をしている人が多かったのかについても調査しているのです。
 それによると、「普段から本を持ち歩いていて暇があると本を開いていた」「積極的に地域の図書館に行き本を借りていた」「ジャンルを問わずなんでも読んでいた」「何度も同じ本を、思い立ったら繰り返し読んでいた」「本文だけでなく目次、前書き、解説など本文以外の部分も楽しみにしながら読んでいた」「小中高生の時に図書委員、子ども図書、読書コンシェルジュの活動を積極的にしていた」「併せて絵本もよく読んでいた」というわけなんです。
 一方で「1日に読むページを決めて読むこと」「著者がどのような人か理解してから読むこと」「学校や区の推薦図書を選ぶこと」を多く経験した人は、実は本の内容や興味とは多少離れてしまい、いわゆる「やらされ感」から読んでいたので、結果的に読書量を少なくしてしまう傾向にあったというのです。う〜ん、学校では推薦図書を薦めたり、1日何ページか読んで読書記録をつけたりなんてしていますよね。本当に自分から興味をもって読書をすることが何よりなんですよねぇ。


                      学校長  川合 一紀

何となく知らずにやっていること・・・

 結婚したばかりのある若い女性が、ハムを料理する際、鍋に入れる前に必ず両端を切り落とすのでした。それを見て興味をそそられた夫が、「どうしてそうするの?」と訪ねると、妻はこう答えました。「どうしてだか分からないわ。でも、ママがいつもそうしていたの。だから私もそうするのよ」ますます興味をそそられた夫は、ある日、義理の母親に、どうしてハムの両端を切り落としてから料理するのか、と聞いてみました。答えはこうでした。「理由は分からないわ。でも、母がいつもそうしていたのよ」この若い夫は、どうしてもその理由が知りたくて、ある時、親戚が集まった際に、妻のおばあさんにそのことを訪ねてみました。おばあさんはこう答えました。「それはね、私が小さかった頃、家はとても貧しかったの。それでね、小さな鍋しかなかったので、料理する時は、ハムの両端を切らないと鍋に入らなかったというわけなの」

 このお話を聞いて皆さんはどう思われますか。私たちは時として、理由も分からず、今までそうしてきたからという理由だけで、考えもせず淡々と続けていることがいくつかあります。何かの迷信のように、あるいは儀式のようにしていることさえありますね。
 例えば、お葬式で「御焼香」というのがありますが、なぜ親指と人差し指・中指あたりで抹香をつまみ額に押し当てるのでしょうか。「なんとなく皆がやっているから」「あれって、何回やるの?」となってしまいますよね。物事には必ず理由があるものです。そしてその理由が、大して意味をなさないということも時にあります。ちなみに「御焼香」は宗派によってそれぞれちゃんとした意味合いがあるそうです。
 さてさて、我々は生活を見回して、果たして「それって必要なのか」と問うてみることも大事ではないでしょうか。理由が分かると何だかすっきりしますよね・・・。

                      学校長  川合 一紀

画像1 画像1

ミュー株って何だ!?

 新型コロナウイルスが蔓延しだしてから1年半ほど経ちましたが、未だに終息していませんね。それどころか変異株といって、より感染力が強いとかワクチンの力を弱めるとか心配材料が話題になっています。そんな中、新たな変異株としてミュー株というものが注目されているようです。
 そもそも新型コロナウイルスは、中国の武漢で発見された従来株から度重なる変異をし感染が広がり、アルファ株というイギリスで発見されたものがその次の流行として世界を席巻しました。さらにはベータ株やデルタ株など、国の名前をつけることに抵抗がありギリシャ文字が使われるようになったのですね。
 実はこのウイルス株は、WHOによると「懸念される変異株(VOC)」としてアルファ株、ベータ株、ガンマ株、デルタ株の4種類を挙げ、また「注目すべき変異株(VOI)」としてイータ株、イオタ株、カッパ株、ラムダ株、そして今回のミュー株の5種類を挙げているのです。「そんなにあるのか!」と驚きますよね。しかし専門家のお話によれば、ウイルスは変異をするものらしいのですよ。そういえば先日イータ株に感染した方の報告もニュースになっていましたね。この変異は時には弱まってくれることもあるようですが、強まることを心配しての「注目すべき変異株」というわけです。
 ん〜、やはり人類はウイルスとの共存を目指すしかないのでしょうかね。

                     学校長  川合 一紀
画像1 画像1

ミノタウロスの皿

「ミノタウロスの皿」という漫画をご存じでしょうか。この漫画は、昭和44年(1969年)に小学館のビッグコミックに掲載された藤子・F・不二雄さんの短編漫画です。短編ながらも、自分の価値観が絶対的に正しいと思い込むことの危険性について考えさせられる作品です。あらすじを載せます。

 宇宙船の事故で地球によく似た惑星に緊急着陸した主人公は、その星でミノアという少女に救出される。その星は、地球でいうところの牛に酷似した種族が支配する世界で、彼らは地球でいうところの人間に酷似した種族を家畜として育てていた。地球のウシと人類が逆転したような世界に唖然とするものの、主人公は美しく気立てのいいミノアに惹かれる。しかし、当のミノアはその家畜の中でも特に育ちの良い食用種で、最高級の食材「ミノタウロスの皿」に選ばれ、民衆の祭典で食べられる運命にあると知り、愕然とする。主人公は喜んで食べられようとするミノアを助け出そうと説得に奔走するが、彼女にも高官にもまるで話が通用しない。猶予が無くなり、光線銃を片手に強行手段を取ろうとするものの結局は救出できず、迎えの宇宙船に乗り込んだ主人公は、ミノアのその後を想像して泣きながらビーフステーキを食べるのだった。

 いかがでしょうか。宇宙船の故障で主人公が偶然たどり着いたのは、牛の姿をした生き物が生態系の頂点に立ち、人間の姿をした生き物が家畜として飼育されている星だったのです。そこでは牛が人を食べるのが当たり前で、それを「非常識だ」と訴える主人公こそが異端であるわけですが、主人公は自分が正しいという前提を疑わず、一方的に主張を押しつけるのです。私たちは「常識」や「ルール」を絶対的な普遍性をもつものであるかのように思い込んでしまいがちですが、価値観は時代やそれぞれの立場によって異なるもの。このような関係では真の意味での対話は生まれませんね。自分の価値観を「それっておかしくない?」「こんなふうにも考えられるんじゃない?」と疑ってみることが歩み寄る第一歩であるということを教えてくれます。
 オリンピック・パラリンピックが終了しました。沢山の感動を得た方々もいる一方で、様々な偏見や価値観の違いを痛感した今年の大会でした。「ミノタウロスの皿」は、多様化した現代において非常に示唆に富んだ作品ですので、機会があったらご覧いただいてもいいかもしれませんね。

                      学校長  川合 一紀

画像1 画像1

ヒアリでひやり!

画像1 画像1
 新型コロナウイルス感染拡大が収まらない中、2学期が始まりました。世間では、児童生徒の感染も増えているというニュースもある中ですから、今まで以上に感染対策を行う必要がありますね。不安を取り除くためにも最大限の取り組み努力をしてまいります。ご家庭でも十分にご注意ください。始業式では、そんな話もしたところです。
 ところで、気になるニュースを見つけました。ヒアリ(火蟻)の日本への侵入が心配だというものです。ちょっと前になりますが日本で初めて火蟻が発見されたのは2017年のこと。中国の広東省広州市から神戸港へ貨物船で運ばれた海上コンテナの中から発見されたのです。その後2019年には品川の港湾埠頭で野生の巣が発見されました。つまりこの2年間で、駆除したつもりが繁殖していたというわけです。火蟻の被害はアルカロイド系の猛毒ゆえに、人間は刺されるとアナフィラキシーショックを発症する場合があるといわれ徹底駆除の対象となっていました。ところが未だに海外から輸入コンテナ等に付着し持ち込まれている状態です。特に中国広東省の火蟻分布は2005年に発見されて以降拡大の一途をたどり、現在では3倍以上に拡大しているとか。日本の環境省は「元を絶たなければ意味が無い」とばかりに広東省の現地視察をし、現地の説明を聞きます。そこでは火蟻駆除専門会社を設立したりドローンで徹底駆除をしたりとかなり努力をされていると認識し帰国。しかし実際はその後の拡大を抑え切れていないのが実態です。
 新型コロナウイルス同様に、火蟻もまた、国際経済の潮流に乗って全世界に蔓延してしまうのでしょうか。とても気になるニュースでした。

                      学校長  川合 一紀

絵本っていいなぁ

 絵本の紹介です。「絵本なんて・・・」と言わないでください。とても心揺さぶられる絵本なのです。タイトルは『アインシュタイン 時をかけるネズミの大冒険』。トーベン・クールマン氏という絵本作家の第4作目です。ご存じの方もいらっしゃるでしょうか。『ネズミの冒険』シリーズの一つです。
 まず絵がきれいですね。さらに絵本といいながら100ページを超える読み物としても良い作品です。ネタバレにならないようにざっくりとあらすじを・・・。

 小ネズミは、心待ちにしていた大チーズフェアに間違えて1日遅れて行ってしまいます。諦めきれずに時計の針を手で止めてみたり、戻してみたりとしますが、時間を戻すことは出来ません。「時間ってなんだろう」と考えているとき、小ネズミは時計屋の店主を見つけます。店主に「時間って、何?」と聞きますが店主も分かりません。しかしそこで店主から80年前に住んでいたというアインシュタインのことを聞きます。そして、小ネズミはタイムマシーンを作成してアインシュタインに会うことに・・・。さらにアインシュタインからは時間に関わることを教えてもらいます。さぁ、小ネズミは大チーズフェア当日を目指すのですが・・・。

 どうですか?何だかワクワクしませんか。夏休みに絵本を見るなんて、そんな余暇もいいのではないでしょうか。

                      学校長  川合 一紀
画像1 画像1

ブースター接種

画像1 画像1
 東京オリンピック・パラリンピックが首都圏では無観客開催となりました。豊島区としては学校連携観戦について、この決定の前の段階で「辞退」の意向を表明しています。選手の皆さんにとっては少し寂しいところかもしれませんが、最大限のパフォーマンスを発揮して欲しいところです。それにしてもワクチン接種が新型コロナウイルス対策としては有効のようですが、その重要なワクチンが供給スピードダウンとなってしまったようです。
 ここへきて見かけるキーワードが「2回目難民」なる言葉。1回目の接種は終えたものの、2回目の予定が立たないというわけですね。以前から言われているようにこのワクチンは2回接種することで効果を十分に発揮するらしいですが、ちょっと気になるニュースもあります。「ブースター接種」という3回目を打つという話題です。2回目接種から半年ほどするとその効果が下がり、感染リスクが増えてしまうというデータがあるため、米ファイザー社は3回目を推奨する申請をするというのです。
ん〜、どうなんでしょうかね。未だに1回目接種すら進んでない国々もある中で、この追加の判断はどこまで伸びていくのでしょうか。結局、自衛手段として、マスク着用と手洗いうがいの徹底、人混みは避けるという方策しかないのでしょうかね。先が見通せないというのは困ったものですねぇ。

                     学校長  川合 一紀

自然の猛威には・・・

 カナダ西部に位置するブリティッシュコロンビア州(BC)リットンで、先月末に気温49.5度を観測したそうです。この地の今までの最高気温は1937年に記録された45度。ここ連日、ヒートドーム現象と言われる大きな高気圧に覆われ、記録的な暑さが続いているのです。このカナダ西部にはバンクーバーという有名な都市がありますね。ここは清涼な地域で夏場でもエアコンを使用しないとか・・・。そもそもエアコンを設置していない居住地もあるそうですが、そんな中でこのような熱波に襲われ、沢山の人が亡くなっているという報道もあります。日本では週末の豪雨で、熱海地方において、大規模な山崩れによる土石流で命を落とした方々もいました。心からお悔やみ申し上げます。
 沖縄や奄美地方は梅雨明けをしました。関東地方もあと半月ほどすれば梅雨明けでしょうか。真夏になれば、記録的な気温上昇は人ごとではありませんよね。梅雨明け直前には、雷や集中豪雨は例年のようにあります。ましてや新型コロナウイルス感染予防のマスク生活を余儀なくされている状況ですから、厳しいですね。災害対策や暑さ対策にも気を配り、夏本番の体調管理も丁寧にしていきましょう。

                     学校長  川合 一紀
画像1 画像1

みるく世

画像1 画像1
 先週23日、沖縄が76年目の「慰霊の日」を迎えました。太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした戦没者の方々を悼み、この日、中学2年生の女生徒が自作の「みるく世(ゆ)の謳(うた)」という詩を朗読しました。
 「みるく世」という言葉は、聞き馴染みのない方も多いと思いますが、沖縄の方言で「神様が納める平和で豊かな世界」という意味だそうです。「みるく世」はもともと「みろく世」であって、つまり「弥勒(みろく)の世」が転じて出来たようです。弥勒とは弥勒菩薩のことで、沖縄では弥勒神として親しまれています。
 この詩の最後には、「みるく世を創るのはここにいる私たちだ」という言葉で締めくくられています。この前段には戦争を振り返り、過ちを繰り返さないという決意が述べられていますが、今の世の中を見渡しても、「過ちを繰り返さない」という意図は、政治社会全般の様々な事柄に当てはまると思いますねえ。
 まさに、平和な世の中を創るのは、地に足をつけて、真剣に未来を考えられる、私たちなのだと若者は叫んでいるのです。大人も真剣に受け止める必要がありますね。

                      学校長  川合 一紀

夏至

 今日6月21日は夏至(げし)です。一般的には、昼間の時間が最も長くなる日と理解されています。これは、地球の軸(地軸)が少し傾いているために、1年間を見ると、太陽の昇る位置が少しずつずれていくためで、この夏至の日は、太陽が最も北寄りの東から昇り、最も北寄りの西に沈みます。概ね太陽の出ている時間は14時間34分(東京)です。1日24時間ですから夜より2時間34分も長いことになりますね。
 この夏至は、地球規模の現象ですから日本だけのものではありません。日本では三重県の伊勢神宮参拝前に訪れると良いとされる二見輿玉(ふたみおきたま)神社の「夏至際」が有名です。世界を見渡すと、イングランドではストーンヘンジで行われる夏至際、ギリシャでは「聖ヨハネの日」と併せて行う夏至際、スゥエーデンではミッドサマーと呼んでやはりお祝いするとか。フィンランドの夏至際は、一日中太陽が沈まない(白夜)特別な日とも言われるようです。
 夏至の日が過ぎると一気に夏へとまっしぐら。おっと!その前に期末考査がありましたか・・・。
画像1 画像1

川に落として引き上げる

画像1 画像1
「こんにちは、突然ですが、お宅には良くない運気が憑いていますよ」
「えー!!なんで分かるんですか」
「最近、良くないことが続いてませんか。物をなくすとか、空き巣に入られたとか・・」
「そういえば、この間、お財布を落としたの・・・それに・・・」
「そうでしょう、でも安心してください。この壺を置いておくだけで運気が上がります」

 こんな訪問販売や勧誘を聞いたことがありませんか。この例は古典的ですが、中には言葉巧みに誘ってくる例もあるようです。これは、人の心理を上手く利用したもので、最初に人を川に落として、それを引き上げて感謝させるといったやり方です。
 近所の掲示板に貼ってある講演会のポスターを、ふと見ると「世の中はどんどん変わる!この変化の中で私たちはどう生きたら良いのか、これからの人生についてお話しします!!」など、これも相手を不安にさせておいて助けてあげるという同じ手法です。
でもよく考えてみてください。一度マイナスにされて、そこからプラスにされても差し引きゼロですね。そもそもそんな不安がなかったのに、無理矢理川に落とされたわけです。だからよくよく見極めないといけませんよね。

 SNSをはじめとする昨今のニュースソースは、とりわけこの傾向にありがちです。人は、多かれ少なかれ不安をもっているものです。そこをほじくられて大きくならないためにも、自分の生き方に自信をもちたいものです。

                      学校長  川合 一紀

泣きたいときには泣いていい・・・

 人前で泣くなんて・・・。大人になるとこういった感が強くなりますよね。子供の頃はワンワン泣いていたのに、成長とともに泣かなくなるのも自制心が育ってきたせいでしょう。しかし感情の昂ぶりということで言えば、経験豊富な大人のほうが「泣ける」要素はたくさん持っているといえますから、大人が泣いたっていいわけですよね。大人であっても純粋な心をもち、子供のように泣ける人は素敵です。私は人前では恥ずかしくて泣けません。でも一人で感動的な映画を見て泣くことはよくあります。(年のせいかな?)すると泣いた後は、本当に清々しい気分になるものです。
 医学的に見ても、涙を流すことで緊張やストレスに関係する交感神経から、脳がリラックスした副交感神経に切り替わるというわけですね。お子さんはどうでしょうか。中学生が人前で声を出して泣くことはあまりないかもしれませんが、涙を流していたら「泣いたっていいんだよ」と優しく声をかけてあげてほしいです。人前で泣くということは、その人に心を許しているという証拠。信頼関係を深める絶好のチャンスです。

                   学校長  川合 一紀
画像1 画像1

eスポーツ

 皆さんはeスポーツというのをご存じですか。これはElectronic Sportの略語で、テレビゲームを使った対戦をスポーツ競技として捉えたものです。アメリカでは、すでにeスポーツをスポーツとして認めていて大会も行われ、プロゲーマーがスポーツ選手として位置づけられているようです。日本でも認知度は高まりつつありますが、様々な課題もあるようです。ところでスポーツの定義とはどうなっているのでしょうか。
 スポーツ庁では、「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことはすべての人々の権利」としていて、誰もが身体を動かすことを心から楽しみ、健康で、豊かな日本を作りましょうとしていますね。「スポーツ」と聞いて、みなさんは何が頭に思い浮かびますか? 陸上や水泳、野球にサッカー、テニスといった球技など、いわゆる体育の授業や部活動で経験したことがある競技種目を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、「スポーツ」という言葉が示す範囲は本来とても広いもので、決して競技スポーツに限るものではありません。
 スポーツ庁が定める「第二期スポーツ基本計画」では、スポーツとは「身体を動かすという人間の本源的な欲求に応え、精神的充足をもたらすもの」と定義されています。だからウォーキングや散歩をするのもスポーツであり、場合によってはそれを観戦して楽しめるのであればそれもスポーツというわけです。そもそもスポーツという言葉の語源は、ラテン語の「deportare」(デポルターレ)という単語だとされています。デポルターレとは、「運び去る、運搬する」の意味です。つまりこれがスポーツの本質であり、人生を楽しく、健康的で生き生きとしたものにするために、より楽しむために勝利を追及するもよし、自分のペースで楽しむもよし、誰もが自由に身体を動かし、自由に観戦し、楽しめるものであるべきなのです。
 さあ、このように考えると先に述べたeスポーツは、定義に照らしてスポーツと呼んでいいのでしょうか。皆さんはどのようにお考えになりますか・・・。

                     学校長  川合 一紀
画像1 画像1

あなたは何枚目?

 先週のニュースにありましたが、「永遠の二枚目」と呼ばれた俳優の田村正和さんが亡くなられました。77歳だそうです。私も沢山の時代劇やドラマを見せていただき楽しませてもらった者の一人です。亡くなられたことは誠に残念ですが、ご冥福をお祈りいたします。
 さて、ここで二枚目という言葉が出てきましたが、この意味をご存じの方はかなり年齢の上の方だろうと思います。若い人たちの言葉で言えば、イケメンとでもいいましょうか、いわゆるカッコイイ美男子のことを指しますね。では、なぜ二枚目というのでしょうか。この二枚目という言葉の語源は歌舞伎の世界にありました。実は一枚目から八枚目まであるのです。
驚きです!
 歌舞伎役者を紹介する看板が8枚あったところからだそうですが、そう言われて見てみると1枚目の看板には主役の人が描かれています。そして2枚目の看板には、まさにイケメンの美男子が描かれます。3枚目はお調子者のお笑い担当、今でも3枚目という表現は通用しますよね。さらに4枚目は、まとめ役の中軸となる役者さん、5枚目は敵役、6枚目は敵役でも憎めない存在の人、7枚目は敵役の中でも最も悪い悪役の人、今で言うならラスボスですかね。そして8枚目は元締めとなる座長が描かれていたのです。役者さんの役柄ですから、その役になりきって演技をすると言うことだと思います。それでも田村正和さんは、毎日の素の自分の生活から二枚目を貫き通していたのだとか。やはり永遠の二枚目だったんですねぇ。

                    学校長  川合 一紀

画像1 画像1

努力できる天才

 広告業界の権威であるドニー・ドイチェの言葉に次のようなものがあります。「才能ある全ての人の中で、極めて高い場所にたどり着く百人に一人は、『私にだってできる』といって、目標に向かって努力する人です」

 自分に自信をもって努力することのできる人は、それだけで才能があると言えます。加えて「人が出来たのだから私にできないはずはない」と思えるかどうかも希少価値です。そう思って努力することが夢の実現に大きく近づくのだと思います。小さなことでもコツコツと積み重ねる努力の出来る人は、必ず努力は報われるのだというわけでしょう。しかし言うのは簡単ですが、継続することはなかなか難しいですよね。人は誰しも、誘惑に揺さぶられます。失敗すればどうしたって「だめなんじゃないか」と思いたくもなります。しかしそこで気分を切り替えて「やればできる」と思えるかどうかなんでしょうね。
 芸能人の誰でしたか「やればできる!」とニコニコ顔で言っているのも、決して間違えではないのですよね。ちなみに、その彼の通っていた高校の校歌には「やれば出来るは魔法の合い言葉」という歌詞がはいっているのだとか。
 だから上述のように考えるならば、持って生まれた天才はいないのかもしれません。努力できる天才はいるのかもしれませんけれど・・・。

                     学校長  川合 一紀
画像1 画像1

関係の鏡

 一人の男がある村を訪ねて、その村の長老に会いに行きました。訪問者は言いました。
「この村に引っ越そうかどうか考えています。ここに住む村人たちはどんな人か教えていただけませんか」すると長老は「あなたが住んでいた村の人々は、どんな人たちでしたか」と逆に訪ね返してきました。訪問者は「強盗、詐欺師、嘘つきだらけです!」と答えました。長老は答えました。「この村の人たちもまったく同じ人間ばかりですよ」と。訪問者は、二度と戻ってきませんでした。
 しばらくして別の男が村にやってきて、長老に話を聞きに行きました。訪問者は尋ねました。「私はこの村に引っ越そうかどうか考えているところです。ここに住む村人たちはどんな人か教えていただけませんか」すると長老は言いました。「あなたが住んでいた村の人たちは、どんな人たちでしたか」訪問者は答えました。「とても親切で、優しくて、思いやりがあり、愛情深い人たちでした。会えなくなると思うと、とても寂しく感じます。」そして長老は言いました。「ここに住んでいる村人たちも、まったく同じ人間ばかりですよ」と。
 このお話は、他者に見えているその特徴が、実は自分のもつ一番強烈な性格であるということを言い表しているのだそうです。自分がそういう考えで過ごしているから、他者もそのように見えてしまうのですね。これを「関係の鏡」と言うようです。人間関係には良い関係も悪い関係も様々でしょう。しかし自分との関わりにおいては、まさに鏡のように映し出されていて、自分がそう振る舞うから相手もそのように振る舞うのですね。いやいや手厳しい観察眼です。4月に新しい環境へ飛び込んだ方も多いことでしょう。そこの人たちになじめるかどうか、自分は受け入れられるだろうか、楽しく過ごせるだろうか、すべては自分次第であるということを肝に銘じたいですね。

                        学校長  川合 一紀

画像1 画像1

フラワームーンを眺めましょう

 ゴールデンウィークが終わりました。連休中はステイホームということで、どんなことを楽しみに過ごされたでしょうか。5月6日は水瓶座流星群が極大と言うことで、夜空を眺めてみるのも、ちょっとした気分転換になりますよね。えっ!?もう終わっちゃったじゃないかって?ご安心ください、天体ショーは年中無休です。
 5月26日には全国で皆既月食が見られます。全国で見られるのは3年ぶりでしょうか。皆既月食は、月か地球の影に完全に隠されて、赤黒く変色した満月が見られる天体ショーです。この赤い月のことをblood Moon(ブラッドムーン)と呼ぶのだそうです。この月の名称で言うと、有名な表現はスーパームーンでしょうか。
 満月には月ごとに様々な呼び名があるそうです。昔、人々は現代のようにカレンダーを見て生活するのではなく、月の満ち欠けとともに生活してきました。アメリカの農業暦のもととなったネイティブアメリカンが使っていたと言われている満月の名前がそれです。季節の移り変わりの満月を節目にして農作業や狩猟など生活の目安にしていたようです。1月は真冬、食糧がなく飢えた狼の遠吠えにちなんだウルフムーン、2月は北アメリカの2月は雪が多いことからスノームーンなどと呼ぶようです。ちなみに5月はたくさんの花が咲くのでフラワームーンというのだとか・・・。そんなことを意識しながら夜空を眺めて、少しばかりコロナのことは忘れましょうか・・・。

                       学校長  川合 一紀
画像1 画像1

譲渡会

 3度目の緊急事態宣言が発出され、今年の5月の連休も「どこにも行けないなあ」と嘆きの声が聞こえてきます。大型遊興施設なども軒並み臨時休業ですから、どこへ行こうにも行き先もありませんね。このコロナ禍においては、様々なイベントが中止になっていますが、実は、犬や猫の譲渡会も中止になっているのです。
 譲渡会とは、動物愛護センター等が、飼い主不明で保護されたり迷子や捨てられたりした犬猫の里親を探すマッチングの会のことです。新型コロナウイルス感染症予防のためですから仕方ないのですが、例えば音楽コンサートがなくなったとかサッカーや野球が無観客になったといえば、「残念!楽しみにしていたのに・・・」となりますが、この譲渡会がなくなると、里親に引き取られなかった犬猫は殺処分されてしまうのです。犬に限って言えば、年間約3万頭もの数が命を失っています。胸が締め付けられるような思いです。
 私の家には小次郎という名の6歳の犬がいます。小次郎は保護犬ではありませんが、お隣の家には小次郎より若い保護犬の「レモンちゃん」がいます。レモンちゃんがお隣の家に来たばかりの時は、警戒していて1週間ほど何も食べなかったといいます。今では小次郎の良き友達ですが、レモンちゃんがどれほどに劣悪な環境で育ったのか想像に難くありません。今や14歳以下の子供よりも数が多いとされるペット事情。コロナの影響は、人間のみならず動物たちの命までも脅かしているのです。

                      学校長  川合 一紀
画像1 画像1
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
豊島区立池袋中学校
〒170-0011
東京都豊島区池袋本町1丁目43番1号
TEL:03-3986-5435
FAX:03-5951-3906